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完璧じゃない自分が現れても否定する必要はない

完璧じゃない自分が現れても否定する必要はない

前略、こんばんは(・∀・)ノ

今日のお題は【完璧】です♪

最近…↓★『何故りんりんちゃんは、自分の事をヘタレって卑下するんですか?』★『自分を愛する事が大切だと教えて下さってるのに、どうしてご自身の事は、ヘタレというのでしょうか?』↑っていうメッセージを何通かいただきました♪

まずは、メッセージありがとうございます(*^^*)

そういえば私は自分の事を、よくブログにヘタレって書いてますね(・o・)

私は、卑下してる訳でも、謙虚になってる訳でもなく、本当どうしようもないヘタレなのですが、そう認識するまでの今だと笑っちゃうプロセスを書きたいと思います(^_-)

私は昔、論語を聞くのが好きで孔子みたいな人になりたい!とか、マザーテレサみたいになりたい!とか思ってた時期がありました。

あ~、、、めちゃめちゃ恥ずかしい~(/-\*)笑

ですが、それが苦しみの始まりだった事に気付いたんです(^人^)

『もっとこうしなきゃ』『もっと完璧に・・』『もっと出来るはず』『あんな風になるには、人として○○なはず』↑っていう自惚れが自分を苦しめていたんです。

それで、うまくいかないと『どうして自分は、こんな事も出来ないんだろう…( ´△`)』って自信をなくしたり、自分を責めちゃう。

これだと本末転倒です。

そもそも聖人君主には、どう逆立ちしてもなれないのに・・(*ノ▽ノ)汗

それと共に…いつしか『常に穏やかでなければ!』とか『人の期待に答えなければ!』みたいな洗脳。。

私は元々、わりと喜怒哀楽を出す子供で育ってきたのに、物心ついて急に常に穏やかなだけの人になれなかったり…(^人^)笑&人の期待に答えられなかったりすると、『私はなんてダメな人間なんだろう・・』って落ち込むのですm(._.)m

★常に穏やかじゃない自分=価値がない★人の期待に答えられない=ダメダメな自分↑みたいな公式が自分の中で勝手に出来ていたのですが、、よく考えてみると『常に穏やかじゃないから』とか『人の期待に答えられないから』価値がないとか、ダメダメって誰が決めたの?(・・)ノ

それは、“自分”なんですね。“誰かがやってるから”とか“周りがそう言ってたから”ってだけで、それが“正しい”って思い込んでたんです。

この思い込みこそが自分を縛り付けたり、自分の自信をそぎ落としてしまうのです。

完璧であろうとするから苦しくなるんです。

更に怖いのは、完璧じゃない自分を見る度に自己否定をしちゃって、苦しくなって行動が出来なくなってしまうこと。

何者かになろうとすると、無理があるのです(あ~、、、何だか昔の自分に言ってるみたい(笑))

『自分は、どうしようもないヘタレ』って認めたら、楽になるのです。

もちろん、ただ楽になって何もしない訳じゃなくて、どうしようもない自分だからこそ『どのようにして行動に移していくか?』が大切!

まとめますと、自分を卑下することをオススメしてる訳じゃなくて、“完璧じゃなくちゃいけない”っていう思考を一旦手放すことをオススメします(*^_^*)

そうすると、完璧じゃない自分が現れても否定する必要もないし、何より元々…ヘタレなんだから(笑)

ねっ(*^o^)/\(^-^*)

本日もお読みくださり有難うございました!

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