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○○を信頼する=絶対的な自己信頼に繋がる

○○を信頼する=絶対的な自己信頼に繋がる

こんばんは。
本田裕子です。

今日のお題は【○○を信頼する=絶対的な自己信頼に繋がる】です。

コーチングセッションをしていると、

最初はみなさん必ず「事実」ではなく

「解釈」を述べられます。

 

 

わたしはこういう現実で、

こういうことがあって、

どうのこうので、

こう感じていて、これが良くてこれが嫌で、

どうしたらいいかわからなくて・・・

↑っていう感じ。

 

 

これはね、事実というより、

解釈を並べてるってことですよね。

 

 

解釈って、簡単に言うと、

過去の記憶に蓄積された

たくさんのデータから「今」を判断し、

その結果、自分が感じていること・考えていること、なんです。

 

 

事実は、ただの事実です。

 

 

この事実と解釈。

似ているようでまったく違いますよね。

 

 

このことを心から実感したとともに、私は何があったときも解釈ではなく「事実を信頼する」という前提に徹したいな、と思ったのです。

 

 
 

ちょっと話は変わりますが、

「罪悪感」ってどこに存在すると思いますか?

 

又、「欠乏感」や「無価値観」

「不安」や「恐れ」は、

どこに存在するでしょう?

 

 

事実と解釈、だけで言うならば、

それらはすべて「解釈」に存在してるの。

つまり、解釈がわたしたちの感情を生み出しているということです。

 

 

 

事実と解釈がたたかうとき、

又、実際に起こっていることと、

それに対する解釈の間にズレが生じるとき、

わたしたちはその現実に心地悪さを感じる。

 

 
その心地悪さをなんとかしよう、と思って

人は問題を解決したいと思うんだよね。

 

 

 

わたしは自分自身にしても、クライアントさんにしても、徹底的にこの「事実」と「解釈」の間にあるズレを修復することにチカラをいれています。

 

 

それは、

解釈のゆがみを正す、という感じ。

 

 

そもそも、

事実、というのは「あるがままに起きていること」です。

 

解釈、というのは「条件付き」のメガネ(自分のフィルター)をかけて見ている現実のことです。

 

 

 

どちらが良いとか、悪い、ではなく。

 

もっというと、

メガネが悪いわけではないし、

事実として起こっていることが、

悪いわけじゃないよね。

 

 

物事を、一方の方向から見たとき、

そこには「正しいか間違いか」だったり、

「それが良いか悪いか」っていう判断が生まれるけど、
別の角度から見たとき、

全体から見たとき、

360度から見渡したとき、
どんなに考えても悪いとしか思えない現象であっても、「解釈」は消えます。

   
それはね、言い換えると、

判断なんて出来なくなる、ってこと。
正しいのか、間違っているか、なんて

どうでもよくなる、ってことなんです。
 

 

人は、この状態になったとき

「今、ここ」って呼ばれるゼロフィールドに立つ。

 
要は、すべてをリセットし、

更にそこから現実をつくり直せる位置に戻る、ということ。

 

もっというと、

自分の中心(コア)に戻ったとき。

すべてを創造することが出来る状態になる、ということです。

 
 

結局はね、何をどう判断し、

どう解釈してもいいわけなんだよね。笑
 
 

でもでもでもでも〜〜!!
 

「事実」を信頼できないまま進もうとしても、

根っこからの活力が湧いてこないんだよね。

 

 

事実を信頼するっていうのは

あるがままを受け入れることでもあるし、

身を委ねることでもあるし、

降参するということでもあるのです。

 
それがよくわからない、という方のために

今回は別の表現で

まずは「事実を信頼しよう」って言ってたりします。
 

アタマで勝手に自動的に変換される「解釈」は、

「こうなるに違いない」とか

「どうせ、こうでしょ」とか

「無理、ダメ、いけない」っていう

否定的な反応しか与えてこないよね。。
 

だから、

解釈はスルーして

心を中心を持っていくの。

 

 

そもそも、

起こっている事実に対して

違う解釈を加えて、

いい感じに見せることが出来ても

その後、後悔するんだよね。笑

 

 

あなたもそんなことはありませんか?
私はね、

「その場しのぎ」をしちゃったことには、

後悔してきたように思います。

 

 

 

なんであのとき素直に言わなかったんだろう。

なんであのとき自分を守ろうとして、その場しのぎのカバーをしちゃったんだろう。

 

 

不信感から自分の「事実」に対して

「その場限りの都合の良い解釈」を並べたところで、ホッとするのはその時だけなんだ。

 

 

「その場限りの解釈」なんて、

いくらでも思い付くわけです。

正当化することも、言い訳することも。。

でも、すればするほど事実に対する不信感だけじゃなく、大切な自分への不信感までも大きくなるんだ。

 

 

もちろん、人はそう強い生き物ではないから、

言い訳をしたり、その場限りの嘘をついたり、

 

本当に大切にしたいものを後回しにして、

大切なのかどうかよくわからないもののために頑張ってしまう時期もあるよね。

 

 

ですが!!
大切なとき。

大切なチェンジのとき。

ピンチが訪れた時。

いつも選択したいのは「事実を信頼すること」です。
 

最初は痛いんだよね。

起こっていることに対して解釈をつけずに、

ちょっと放置して、様子を見る👀

と、いうことが痛くてなかなか出来ない。

 
見ないフリ、とは違って、

事実を信頼することは、

「観察する」ことと同じです。

そう。

単に観察するの。

(いわゆるガン見。笑)

 
 

いやさ、コーティングした方が、

はじめはホッとするんだよね。
なぜなら、

なんとか免れた、と思えるからね。

でも、

長い目で見た時に、

そしてその痛みを越えた先を見た時に、
絶大なる信頼が待っているから、

わたしはそっちを選ぶ。
 

そして結局、本当に「大丈夫」でした。

 

 
 

痛みを感じたとき、

そこから逃げる策を考えるのはアタマの仕事。
でも、何かしらの限界がきてて、

何かを叫びたくて痛みを与えてくれてるの。

 

逃げようとする自分を責める必要はない。

けども、少なくともそういうときは、

逃げたい自分を知った上で

「痛みに首つっこんでみる」ことも大切かと。

 

 
痛い〜痛い〜痛いよ〜!って。

言ってみるの。

 

 

それが良いとか、悪いとかじゃなく、

その痛みと融合する感じで。
 

痛みがあることが、人間として価値がないことじゃないもの。

 

 

 

事実を受け入れられない時、

あるいはそれに対して抵抗して闘って

必死に自分を取り繕う時、

 

遅かれ早かれ痛みはやってくる。

そして倍増していく。
そして更に逃げようとする。

(それしかしてこなかったから、

もう逃げる以外の方法がわからないよね)
 

でもね、逃げても逃げても、

そこからは逃れられないんだ。

 

なぜなら、

痛みの出口は、痛みの中にあるから。

 

 

出口の周辺には、まぁ、ありとあらゆる色々な矛盾があったり、絶望があったり、そして自分に対するいたたまれなさがあったり、する。

 
かなりソワソワするけど、

その先に、素晴らしいものがあると

わたしは確信しています。

 
とにかくね、

今何が起きていようと、

何が心配であろうと、

「事実」を信じてみる。

起こっていることを、信じてみる。

↑これ、個人的にオススメです。

 

「意味があるに違いない」とかって

妄信するより、
「なんだかんだ、私は大丈夫なんだ」と。

 

 

まずは事実を信頼することが、絶対的な自分への信頼に繋がると思うのです。

又、メンタルプログラムは、あと1名で満席となります。
自己信頼を得て、本物の自信を身に付けたい方は、チェックしてみてください。

(満席になり次第、〆切ます)

http://yukohonda.com/lp/mentalprogram/

最後に、昨夜のPodcast放送

「いつでも男を捨てる勇気」が好評です☺️笑

まだお聞きでない方は、是非お聞きください。

【Podcast番組】

https://goo.gl/2gBdev

 

本日もお読みくださり、ありがとうございました。

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