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そんな法則、捨てちまえ!

そんな法則、捨てちまえ!

こんばんは。
本田裕子です。
今日のお題は、【そんな法則、捨てちまえ!】です。


はい。

今日は、またもや一見すると矛盾しているように思われる話を書きます。

よく言われてることだし、

私自身も似たようなことを発信しています。

確かに真実だけど、
時として、要らんくない?って話。
…………………………

それは、↓
私たちが目にするこの世界は、意識の鏡。
もし、外側に問題や悲劇を見るのなら、

その要素があなたの中にもあるということ。
だから、

外に問題を見出すのではなく、

あなたの内にこそ見出すべきである。

↑というもの。

…………………………

確かに その通り。

いわゆる鏡の法則だったり、

自分原因説だったり。

ただね、

この考え方で苦しんでる人も多いことを知り、違う角度から書いてみたくなったのだ。

私は一貫性とか気にしとらん。笑
相手や状況により、また私自身も日々アップデートしてるので、言うことが変わることもあれば変わらないこともある。
常にリアルタイムでお届けしたい。

あ、話を戻します。
↑………上記の考え方で自分の中の問題に向き合うことで良くなる人も多い。
けれど私は、これが全てではないと思っています。
そして、この考え方を全てに応用することで逆に問題をつくる必要はないのだ。
例えば、

「自分がこんな病気になったのは、自分の中に何かそういうものを引き寄せる要素があったからですか?自分の中に問題があるってことですか?」

↑というね、自分原因説は、ぶっちゃけ微妙だと感じるのです。

「どう考えたって、こんな病気にはなりたくなかった。自分じゃない!自分のせいなんて考えたくもない!問題って、いったい何?」って、そんな訳もわからない問題に立ち向かっても何の解決にならないんじゃないか、と。

これじゃあ、思考の負のループに陥ってしまって、内観どころではないよね。
なのでハッキリと言いたい。
意識が現実化する、という真実は人を救わない場合がある。

こんなケースでは、これは真実ではあっても値打ちがないのです。

もちろん、ここから書くことは全ての人に当てはまる真理じゃない。

ここから書くことは、

★今の自分の状況に打ちひしがれている人

★自分の内面のどこに原因があって、今の現状があるのか途方に暮れている人

↑そういう方々へ向けた、思い切ったメッセージです。
あなたの身に起こっていることと、

あなたの心のあり方とは、

何の関係もないんだよ!

だから、

あなたは内面に問題を探さなくていい。
なぜなら、逆に探すことで

 「発見されるような問題」

 を創造して見つける、というひとり相撲をとることになるから。

じゃあ、問題に向き合わずに、どうやって解決するの?ってことだけど、
問題はひとまず放っておいて、喜びやワクワクにフォーカスするのです。

例えば、

Aという植物とBという植物があるとして🌴
Aの植物の方には、お水をたっぷりあげて、光も当ててあげる。
逆にBの植物の方には、お水もやらない、光も当てない。
どちらが、よく成長するか?
当然だけどAはすくすく育って、Bは枯れちゃうよね。

大切なのは、喜びやワクワクの方に、お水と光を当ててあげること🌴✨

すると、増幅&拡大&循環する♡

私たちは、「問題」 というものに、

せっせと光を当て、お水をあげているの。
必死に構って向き合うことで、より存在する力を与えているんだ。
そして、肝心な喜びやワクワクの方には、

「この問題が片付かないのに悠長に遊んでられるか!」

↑って後回しにするw
つまり、喜びやワクワクの方には、お水も光もやらないのだ。

ここで私の知人の実例を👍
私の知人は、数年前に余命数か月と診断されました。
手の施しようがなく、治療しても仕方がないから、悔いのないように好きなことしなさい、と退院させられたのです。

(病院のベッドに縛り付けられるような病気ではなく、ある程度普通に活動できたのもあります)

その知人は、自分の会社を売却し、

元々、人を笑わせるセンスがあったり、人を笑わせるのが好きだったこともあり、

老人ホームや養護施設を回って、漫談のようなことをはじめました。
楽しんでるうちに、又、いろんな人の笑顔を見ていると更に夢中になって余命のことをスッカリ忘れていたのです。
そうして気が付いたときには1年が経過してて、思い立って病院へ行ってみると、お医者さんは腰を抜かすほど驚いたそうで。
そう、

どんなに検査しても、悪腫瘍がなくなっていたのです✨
もしもね、彼が毎日毎日、自分の何が悪かったのだろうか…。あ〜今日死ぬか明日死ぬか…って生きていたとしたら。。。
死ぬ、という意識に光を当て水をやり、せっせとお世話した結果、望み通り死んでいたかもしれないよね。
でも彼は、自分の体のことを忘れ、

慰問活動と漫談で人の笑顔が見たい!という情熱と喜びという名の、水と光を与え続けたの。
その結果が、これなんだよね。

人は、何でもかんでも、アタマで納得しないと気が済まないし、気持ち悪い。
例えそれが自分にとって嫌なことでも、納得するためなら背に腹を変えてしまう。

例えば、

あなたが今朝、◯◯さん(旦那さんでも恋人でも親でも誰でも)と喧嘩して、つい暴言を吐いちゃったとします。
そして、今日あなたは歩いてて👠足を挫いて転んだとします。
その時に、こう考えてしまう誘惑に駆られないかしら?
「あ〜〜😩もしかしたら、私が今朝◯◯さんを傷つけるようなことをしたから・・そのせいでバチが当たったんじゃ?」と。
あえてハッキリ言おう。
たまたま転んだだけ。
何の関係もない。
人は、自分にとって何の得にもならない理屈なのに、それでもアタマで納得できる理由付けが欲しいのです。
それがあったほうが安心するから。
その安心のためには、多少自分に不利益な解釈 (私が悪かった) であっても、無理矢理にそう考えたくなってしまうもの、なんだよね。

自分原因説の概念が、ちょっと歪められた形で信じらている。

確かに、そういった側面もあります。
でも全てに当てはまらないから。

ですから、問題にフォーカスせずとも喜びやワクワクにフォーカスすることで、問題に取っ組み合わずにそんなものを凌駕する成果を叩き出せることだって本当たくさんあります。

起こったことの原因を考えて、自分をいじめなくていい。

私は思うのです。
人によっては、鏡の法則や自分原因説を捨ててもいいんじゃないか?と。

喜びにフォーカスし、問題にエサをあげずに死滅させることができるのだ。

必ずしも内面に向き合い、ゆるし・統合という過程じゃなくてもよくない?

宇宙が究極には愛であり、自由であるなら。
このやり方でしか人は魂の成長ができない、というのは、あまりにチンケな宇宙ではないか!

そんなこと絶対にないのだ。

昨日の記事「人付き合いの上品さ、下品さ」

人付き合いの上品さ、下品さ


↑にしたって、あなたが純粋な気持ちで相手と交流してても、相手はそうではない場合だってあるのだ。それを自分に原因がある?とか鏡の法則?とか考えなくてよいのです。
不快に感じたら、とっとと距離を置けばいいだけ。
その分、あなたと同じような心ある人、魂の喜びを基準としてる人との交流や出会いが、この上なく嬉しくて感動するのだから♡

だからね、

もしも今、あなたが自分を罰しまくって身動きがとれない状況が続いているのなら、
何の問題もないから、

気にせず、お行き、と言いたい。
もっと、心が浮き立つことを一緒に考えよう✨
そして、そのワクワクを風船にして、

ふくらまそう(´ε` )♡


…………………………
と、いうことで、
私は、またベランダと玄関に新しい植物🌴を購入しちゃったん( ◠‿◠ )

愛情かけて🌴育てるのが好き♡
美しい🌴からも 良い気 をいただいております(๑˃̵ᴗ˂̵)✨

あ、ちなみにこの額の写真の女性はローラだよ♡
(全然違うのに、5月に母が来たとき、私だと勘違いしていた。笑)

ローラも美しい♡

↑ちょいとモノクロ風にしてもいいね(╹◡╹)

ほんと美しいものを見たら、純粋に気分が上がるのよね☺️♡

本日もお読みくださり、ありがとうございました。

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