何か凶悪な事件を起こした人の行動を、「どんな事情があったにせよ、やっちゃいかん!」「暴力反対!」「許されることではない!」というのは本当に真っ当な意見であり、私自身もショックと同時に、先ずそのような考えが湧いてきました。
だけど、言葉にできない喪失感等を出した後、そこで終わらずに、なぜそんなことをしたのか?人の心を病ませてしまう闇の正体を見る必要があるなって思ったんです。
なんていうか(仮に現時点での報道を元にすると)、一見すると犯人だけが特殊な人に見えそうだけど、凶悪な犯行を実行までしてしまった人が一人いるなら、実行しないまでも社会等に不満を持つ人は結構いるのだと思う。つまり氷山の一角であり、ゴキブリ1匹見つけたら100匹いるみたいに言われるのと同じ
じゃあ私には何が出来るんだろう?って考えたとき、まず一旦 自分の中心に鎮座して、内なる安らぎ(平和)から〜何が出来るかな?と自分に問いて、その根本を見ていかないといつまでも同じことが起き続ける。
(※まず自分が内なる安らぎから始めないと、感情に飲み込まれて何かと争う姿勢になりがちやから、自分のこの考えはどこからきているのか?を見ていく必要があるな、と。)
もちろん、例えどんな背景があろうとも、この社会においては、その事実に基づいて法律の範囲内で罰せられて然るべきではあるけれど、その上で少しでも善悪を越えて人の心を病ませてしまう闇の正体を排除せずに見ることや、やはり分かち合いが大切なんじゃないかな。
中でも弱者を追い詰めるような風潮は、社会的になくなっていった方がいいと思う。そうじゃないと、「周囲に腹が立った」とかいう理由で無差別に凶悪なことが起こったりするのは、社会に対して怒りを持ち、排除され、這い上がることができない人たちだったりするから。
話は変わって、3.11の大震災で被災された方々の助け合う姿にイスラムの聖職者が、「ムスリムでもない彼らがコーランの教えを体現している。なのになぜ我々の国でそれができないのか」と言ったそう。
又、幕末〜明治時代にかけて日本を訪れた西洋人の多くが、「貧しくてもこれほど幸せそうに暮らしている人々は見たことがない」と評していたり、当時のフランス大使だったポール・クローデルが帰国後のスピーチで「世界中の人間がすべて滅びても、この民族だけは滅びてほしくない」、「彼らは貧しい。しかし高貴である」と言った話は、わりとシェアされてるから知ってる方もいらっしゃると思う。
やはり「分かち合い」の世界をベースに、所有や奪い合いではない、豊かな社会をつくるために今わたしが出来ることは、「心の仕組み」を、こうしてシェアしたり意識の使い方や、具体的な実践をシェアしたり、実際に身の回りのご縁ある人や目の前の人と共に存り、カインドフルネスや分かち合い、喜びの循環を広げていきたいなと思ったのでした。
以上、長いひとりごとでした
最後に闇は対立する概念じゃない。
闇を排除するのは不自然。
じゃあどうしたらいいのか?ということを過去にブログで詳しく書いています。
(意識と自我がべったり貼り付いてたところに隙間があくので、そのタイミングで風を入れて剥がしていくことetc)
↓2020年1月の記事です♀️
https://ameblo.jp/rinrin1124/entry-12569372873.html
……
ということで、
“カインドフルネス”のススメ❤︎
実は私たち人間は、人に親切にすること(思いやりの実践や目の前の人を笑顔にすること)で、老化で酸化することを防ぐホルモンであるオキシトシンが分泌されたり、清々しい気持ちになることで不安や恐怖を和らげる幸せホルモンであるセロトニンが分泌されたり、喜びの循環や思いやりの交流を感じることで、脳の中心部にある下垂体が作り出すホルモンであるエンドルフィンが分泌されて鎮痛効果やイキイキと元気になって、人生の流れを信頼できるようになります。
無理することなく、ちょっとした思いやりを向けるのでいい。
自分から笑顔で挨拶をしたり、
ありがとうって伝えたり、
道や席を譲ったり、
何か困ったことない?って聞いたり、
目の前の人を笑顔にしたり、
誰かを応援したり、
ほんの些細な親切でも
胸がほっこり温かくなったり、
ほほ笑ましい気持ちになったり、
ゴミを拾ったりすると、
自分が清々しくなったり、
皆さんも何度も経験があると思います。
……
ちなみに、私は昨年の4月から〜毎朝欠かさず慈悲の瞑想を続けているのですけど、これが(私の中では)細胞の隅々まで浸透して、源とのパイプが太くなる感覚が強くなってきて、自然と内に安らぐことが増えてきて、自分や他人の「思考」や「感情」につつき回されなくなりました。それだけじゃなくて脳にも変化が起きているそうです。
(と先日聞いて妙に納得しました)
なので慈悲の瞑想もオススメです♀️
(ヴィパッサナー瞑想も❤︎)
だけど、「瞑想はめんどくさいわ〜」って方にオススメなのが、すれ違う人の幸せを願うこと
「あの人が幸せでありますように」
「この人も幸せでありますように」って
ただひたすら、すれ違う人の幸せを願う。
心を込めて。
最後にこれらの全てにおいて大切(注意点)なのがカルマヨガの在り方です。
つまり、
結果(見返り)を期待しないこと。
「親切にしたのにありがとうもないわ!」
とかって見返りを求めると、本末転倒だっちゃw
完璧ではない人間同士が補い合い、協力し、助け合って生きることで、人との繋がりに感謝が湧き、謙虚になれるのだと私は思う。
思いやりは自他ともに
幸福にしてくれるので
皆んなで幸せになりましょ
愛は愛されて感じるものじゃなくて
自分から愛するから感じるもの。
……
「自分が幸せになりたいなら、
思いやりを実践しなさい」
(by ダライ・ラマ)
ダライ・ラマの↑この言葉をシェアして
今日は終わりにしようと思ったんだけど、
ふと合ってたかな?って思って
今ダライ・ラマで調べたら、今日の内容にリンクする言葉が他にもあったので自分用メモも含め、シェアして終わります
合掌