【降伏と服従の違い】
以前、
「降伏と服従の違い」を話した機会があったときに、近々ブログに書きます!って言ったまんまになっていたのを、昨日のセッションで話してて思い出したので書きたいと思います。
……
色んな方々が、よく「降伏しよう!」
とかって言われています。
降伏(サレンダー)とは、
降伏をはじめ、
降参、身を委ねる、
明け渡すetcのことですよね。
「自分が!」って、必死に歯をくいしばって頑張り続けてきた人が、自分1人での限界を知り、「自分が!」を手放し自分を諦めたり(自分を明らかに観たり)他力や人生の流れを信頼して身を委ねること。
★やるだけやった!
★もうどうにでもしてくれー!
っていう「まな板の上の鯉🐠」状態。
そこから新たな世界がひらけてくる✨
ただ、
↑これと「服従」は全く違うもの。
「服従」のはじまりは、親です。
当たり前だけど、
親とはいえ人間だし自我があります。
(ここでいう自我とは、恐れや自己否定からくる思考等のこと)
もちろん誰しもこういう部分は持っているし、親だって完璧じゃないし、人間だもの。
で、この親の自我は、時として子供に対して支配することもあります。
(いい・悪い じゃなく無意識にしていることも多い。)
それをされた子供は、
なかなか逆らえない。
そりゃそうよね。
幼いころは小さくて無力だもん。
でも、ずっと自分の領域や力を明け渡し、
親の顔色を伺って服従する必要はない。
大人になったら、
もう力はついてるから。
なのに、大人になっても
親が何かを押し付けてくることに対して、
「押し返せないんです」って人がいます。
これは、
「押し返せない」んじゃない。
「押し返さない」んだよね。
なぜなら、
押し返したら、
親が悲しむと思っているから。
悲しませないことが愛だと思っていて、
押されてあげることが愛だと思っていて、
服従こそが愛だと思って、押し返さない。
もっというと、
自分が押し返したら、
「親から愛されなくなる」と恐れているから。
服従することが、
愛されることだと思っているし、
「苦しい、苦しい」って言いながら、
続けている。。
又、親の自我も、
それを「愛」だと信じているから、
余計に、ややこしやーってなってたり。。
「支配と服従の関係」
↑これが、愛のつもりだからやめられない。
(苦しいって言いながら…)
苦しいよね。
そうして大人になった今でも、自分の力を親に明け渡してしまう。。
これ、
一見「降伏」に凄く似ているけれど、
全く違うもの。
降伏って宇宙に対してするものです。
つまり、
自分自身の内なる神に対してするもの。
自分の正直な気持ちや感性、直観etc…
(=宇宙と調和すること)
これに対して委ねることが降伏♡
これは、
絶対的な安らぎの方向に向かっています。
あ、何が言いたいのかというと、
親とか他人の自我に降伏するのは違う。
それは単なる服従だよってこと。
ですから、
もう宇宙と調和して自分を生きるんだ!っていう人は、まず自分の力を取り戻すこと。
自分の力を出して、
思いっきり押し返していい!
怒っていい!
追い払っていい!
それで親(や相手)の自我を傷つけたっていい!
なんなら、
悲しませてみろ!
怒らせてみろ!
一旦、腹をくくって
自分で自分の尊厳を守るんだよ!
そうして、
同じ地平に立つ人間同士が
互いを活かし合うことで、
そこに深い「愛」が存在することを
体験・体感して循環していく。
わたし自身は、小学校の高学年からの数年間は、ほんと親への反抗期が酷かったですし、
「自分が!」を徹底的にして、(わたしの場合は我が強かったともいうw)自力を散々やりきった先に、他力や大いなる力を信頼できるようになった。
(クライアントはじめ、多くの方も、
自力→からの流れが、最も効果が早い)
ですから、 愛のつもりで服従にしかなっていない
あなたがいるのなら、
まず必要なことは、 「自分が!」を押し通すこと。
すると、 自分の内なる神に気づいて、
そして、それと繋がり、信頼できるから。
★親の自我に降伏する
★他人の自我に降伏する
↑のは、もう終わり。
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡