私(自我)とは何なのか?
思考や心の性質を知らないことには、
自我に支配された状態から
又、本当の意味で
平和に生きることは出来ない。
そして、
透明な気づきの目で観ないことには、
過去の記憶や、自分だけの都合、
色眼鏡を外すことは出来ない。
というか、
透明な気づきの目を育てないことには、「私」が本当はどんなものであるのかを知ることは出来ないし、気づきの力がないと心は妄想してしまう。=惑わされ、振り回され、巻き込まれてしまう。
気づきの力によって👁
色眼鏡や不純物、観念が落ちたとき、
混乱していた「私」や、心は、
根源の聖なる流れに溶けていく。
そんでもって、
「私」は、混乱した中に長年いたもんだから、混乱していることにすら全く気づかなかっただけで、混乱していることに気づいたのは、溶けてからのこと。
これは正直さと情熱、ある意味忍耐と、それ以上に何より根源に対する愛がないと続かない。
自分を真っ直ぐに観ることをせずに
又、観るのを端折って
外側の何かに依存したり
スピリチュアル等に逃げても、
何をしても何を学んでも
自我満足や、優越感に浸ったり、
他者を軽視し、自分は特別な人間なんだとか、
何かを得ることで苦しみが終わると勘違いして、自らまた不純物をこしらえる。
この気づきの力を育てていく日々の実践は、誰かのためにするのではなく、自分のため。
なぜなら世界=私だから。
そして面白いことに
「私」の勘違いを見抜くと
より自分らしく生きられるという
パラドックス。
生きとし生けるもの、
生命を慈しむ気持ちが
溢れ出て止まらないワン🐶
不自然から
自然に還るだけだワン🐶💕
まりん師匠は
今日も素直です☺️✨
今日も来てくれてありがとう🙏^ ^♡