【人が疲弊する理由】
真我から観ると👁
すべてに分離や境はないけれど
物質世界での体験はみんな違う。
同じである必要はないし、
比べることもない。
どんな表れにも優劣はなく
ある意味どんな表れも個性的♡
頭の声が優位になると、
あれは良い!あれは悪い!って
常に自他に対し、
反応したりジャッジする。
ハートや腹が優位になると、
これらの頭の声が静かになって
“いま”平穏がある🧘🏻♀️
「どう在っても大丈夫」
↑これは、ポジティブにそう信じるのではなくて、ジャッジのないところから(頭ではないところから)分離が幻想だと明らかになること。
本質なる それ から
ただ生じる安堵や信頼。
……
誰もあなたをジャッジしてはいない。
ただ自分が自分自身をジャッジしている間は、誰が何をどういうつもりで話していても、すべてが自分へのジャッジに聞こえてきます。
(そして、他人をジャッジしてる人は、
往々にして自分をジャッジしています)
もし誰かの言動に気持ちが揺らぐとき、
自分の内側を見る大きなチャンス(╹◡╹)
そして、その原因は相手じゃなく
すべて自分の内側にある。
そう素直に認めることは弱さじゃない。
真の意味で私を救えるのは私しかいない
という私への信頼♡
(私しかいない)
もしくは 心のレベルで言うならば、
「この人は何に気づかせようとしてくれてるのかな?」と自分に問うと、有難い存在に一変します。
正誤や優劣etc…自分に、誰かに、事象に意味をつけて、日常的にジャッジして一喜一憂を繰り返していると、人は疲弊してしまう。
ハートや腹から体験していくだけで
重々しい生き方から軽やかな生き方へと
変化していきます。
まずは、
ジャッジの正体を真っ直ぐに観て👁
心身に蓄積した観念を解いてあげよう♡
すると自然に
感謝の気持ちが溢れてきます。
自分の中に正しさがあってもいい。
(本当はみんな自分の中に答えを持ってる。その答えに反する人を攻撃したり、
承認させたいときは、誰よりも自分がその答えを信じていないときだよ)
あなたの答えも 他者の答えも
「共にますます幸せでありますように」
という祈りに変わる🙏💞
……
自然に溶け込み、自然の摂理に従う🌳
自然を感じたり
動植物を見ていると
真の意味で謙虚にさせてくれます🙏
今日も来てくれてありがとう🙏^ ^♡