【信じること、期待すること】
昨日は、また「信じること」についての相談があったので、今日は「信じること」について、の「在り方」っていう角度から書いてみたいと思います。
中でも「相手を信じること」について。
わたしは、いつも
★相手を信じてる自分を信じてる状態。
★裏切られる、という概念はない。
↑etc…と話したり書いたりしています。
この「裏切られた」っていうのには、
大抵 「○○だと思っていたのに…」
っていう気持ちが隠れてる。
だけど、
「相手を信じること」と、
「相手に期待すること」って違うよね。
なんていうか、「相手に期待すること」って、ある意味簡単。
あ、ちなみに、わたしは「期待」=「悪」だとは一概には思っていなくて。
相手の可能性を見ることは、相手に期待することでもあるからして、そういうフィルターで見る(相手に押し付けない)期待は、相手の原動力にもなるもの。
で、そこから「相手を信じる」っていう段階にいくには??
それは、「相手が信じるに足る行動をとってくれたら信じられるのに・・」って思うんだったら、いつまでたっても相手を信じることはできない。ってわたしは思う。
相手を信じてる自分を信じてる状態って、
相手が与えてくれる何かじゃなくって、
自分自身の「決心」だから。
自分が相手を信じるって決める。
それだけ。
決めることって責任を伴う。
(ちなみに「責任」って、そんな重苦しいもんじゃなくて、自分が決めたことによって起こった現実は、すべて受け入れること)
例えば、
「相手が浮気するんじゃないか不安」とか、先日いただいたお便りにも書いてあった、
「相手を信じたい」=「相手を信じられない」というのも、信じられないから相手の携帯をみたくなる訳だよね。。
その他にも、
★不安だから安心できるように逐一、相手の行動を報告して欲しい。
★自分との時間を優先して欲しい。
↑etc…これって、自分が愛されなくなるかもしれない、っていう恐れがあるからよね。
相手を信じられるかどうかって、自分が心の中で「相手を信じる」って決めて、
その結果、うまくいっても、いかなくても
起こった出来事を受け入れる覚悟ができているか?ってことだと思うのです。
つまり、
まず先に自分の決心があるってこと。
ただ、このような考えや在り方、生き方って、「正しいか正しくないか」とかっていう善悪じゃなくて、「好き嫌い」とか「どう在りたいか」なんだと思う。
結果として どう転ぼうと、それでも相手を信じることを選びたいかどうか。
どちらの生き方がカッコいいと思えて、自分に誇りを持てて清々しいか。
なんか、ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど🙄恋愛に限らず、わたしはこのように判断してるし、もっと正確にいうと、そこまで「信じる!信じる!」って意識しなくとも自然と信じてる状態であり、その結果として どう転ぼうと自分に正直であれば最善。
だから、もし、
「今はまだ信じることができない」とか、「決めることができない」のなら、それでもいいと思うんだよね。
それを自覚していれば、決められないんじゃなくって、「今は保留にする」という決心をしたということだから。
ということで、
「決める」って自分との約束でもあり、
それによって起こった出来事を受け入れるっていうことなのだと思う。
わたしは清々しい生き方が爽快だし、そう在ることが結局は自分が最も心地よい状態で、自分とも世界とも調和してる感覚があるから好き(•ૢ⚈͒⌄⚈͒•ૢ)♡
……
最後に、今日挙げた例で本音を言うと、
浮気されるとか されないとか
愛されるか 愛されないかとか
どっちでもいい。
そんなことで、
あなたの存在は脅かされちゃうの?
そんな程度じゃないでしょ⁈
あなたはもっと偉大な存在。
どーーんと構えてればいい♡笑
って個人的には思うのでした。
……
最近は🈳時間があると、よく読書しています。石田ゆり子さんの本を読んだのだけど、
ほんとに生き方・在り方、内面・外見、共にめっちゃ素敵♡
中でも動物に対する想いや感覚が似ていて、なんだか嬉しくなりました✨
★言葉を持たない彼らとは、魂の一番深いところでいつも会話していたような気がします。
★わたしは猫として、犬としての彼らを尊重しているのです。
★過去や未来を案じて今を失うのは人間だけです。動物達はいつも、今を生きてる。死ぬことも生きることの延長線上にあるという究極の悟りを開いているかのようにすら思う。だから神様に一番近いところにいるような気がするのです。
↑(Lily より引用)
ほんと動物からも学ぶことが多いと、
わたしも心から感じる✨
゚・:*♡Ʈɧaɲқ ყoϋ♡°・:
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡