【自分への態度=他人への態度】
人が悩んでいる時に出る態度って
自分に対しても同じ場合が多い。
(逆も然り)
昨年末に書いた記事に私は、↓
20歳の頃に出逢った中村天風さんの著書を読み感銘を受け、『心(思考)も身体も道具である』というお言葉が、本当の意味で腹落ちしたのは随分と後のことだった、と書きました。
私は昔、完全に思考や悩みとべったりと同一化していたため、思考が自分であると完全に思い込み、ネガティブを避け、ネガティブな観念に蓋をし、そこから逃れるために心理学を学び、引き寄せの法則や表面だけのポジティブシンキングを頑張っていたことがある。笑
なので、
昔は母が私にちょっとした悩みを言うと
「もっとこう考えたほうがいいよ」とか求められてもいないアドバイスをしていた。
ああ、これはダサい。笑
けど当時の私は必死で人生と向き合ってるつもりでいたし、完全に悩みや思考と同一化していたもんやから、ネガティブなことをいうとネガティブなことが起こると恐れていました。
もっというと、
起きてほしい出来事と
起きてほしくない出来事があって
その型に囚われていた。
でも、これは私にとって有難い体験であったと同時に、ふと素直な私たちが子供のころを思い出すキッカケや本来の無邪気で無敵な自分に還るキッカケとなった。
で、何が無敵だったのか?というと、
「何が起きても楽しい」って心底、
思っていたこと。
もちろん当時も恐い事とか、
できたら起きてほしくない事は
あったけど、その全てを楽しんでいた。
それは恐くなかったんじゃなくて、
ちゃんと恐がってたし、
悲しんでいたし、喜んでいたし、
素直に表現していたということ♡
思考(悩み)と、本来のわたしとに
ちゃんと距離があり、
ある意味、あるがままに対する聖なる降伏。
その後、だいぶ年月が経ったわたしに
理解が湧いてきたことを言語化すると、
あるがままに観照すること。
他人にそれができるのなら、自分の思考にも同じように接することができるし、
自分にそれができるのなら、他人にも同じように接することができるよね♡
やっぱ自我の枠の中で自分をコントロールしようとすると、他者もコントロールしようと無意識にしてしまう。
ポジティブになろうとするのではなく、
あるがままに観照すると、
ネガティブが落ちてポジティブになる。
(=自然になる)
(もちろん、何も言っちゃダメ!という観念すらなく、自然に素直になるということ)
偉大なる気づきと恩寵だったなあ。
……
そういえば無邪気といえば、
最近、わたしは「藤井 風」さんに
ハマってる🎹🎙♫
といっても私は実は今年になって知ったばかりなので、まだ彼を知って10日くらいなのですが(教えてもらって)、久々にどハマり中。
ほんと子供のように無邪気で
楽しそうにピアノを弾き🎹
ほんと楽しそうに歌っていて、
お人柄も魅力的で最高すぎる♡
写真は昨日のわたし🤳
(今月の真凛塾の会場の下見に)
こちらの会場、今月いっぱいでクローズするらしく、初めて使う場所だけど、なんか切なさを感じました。
オンライン配信は試行錯誤というか、新たにウェブカメラを購入したり、色々やりながら改善を重ねる作業も楽しいね。
照明も大事〜!💡笑
今日も来てくれてありがとう🙏^ ^♡