【謙虚であれるときにだけ 心は開く】
期待しない、執着がない、ということは
心を閉ざすことじゃない。
「私は何も知らない」って認められることはなんて豊かなんだろう💫
なぜなら、
起きたことに対する自分のちっぽけな解釈や防御が、自然と手放せたり緩むから。
学べないときや 受け取れないときって、
「私は知ってる!(わかってる!)」
「私は間違ってない!」って固く
信じてたり、信じたかったりする。
そして、「私は間違ってない!」って信じてるとき、外側への心は閉ざされる。
謙虚であれるときにだけ、
心は開いていられる。
……
そういえば、先日お聞きした話で👂
長年真理を学び、探究をしてきた
熱心な探究者の話を聞きました。
その人は、師や先生に対して、
「自分も同じくらい分かっている」とか、
「自分は真理の知識を知ってる」って
気持ちが滲み出ていたようで、
そんな気持ちで先生のところに
教えてほしいって会いに行っても、
「来るな」って言われて当然だよな〜
って感じました。
そもそも日常生活の指針として、カルマヨーガという生き方をすることが、行であり実践。
(カルマヨーガとは日常の行為の全てを結果を求めないで行うこと。又、行為、執着の放棄、奉仕のヨガとも呼ばれています🧘🏻♀️)
なので、知識だけや頭で考えて執着をやめよう!っていうのではなくて、ヨガは実践ありきなので実践して身体で会得し、腹に落とすもの。
そんでもって、
これはめっちゃ清々しい😌✨
この清々しさを実践で知っちゃうと、執着や期待が、どんだけ心地よくないことなのか身体でわかってしまいます。
実践なきものは、すべて机上の空論。
そして、私たちは誰でも、誰かの前では「先生」「先輩」「親」「上司」「何かしらのプロ(や得意なもの)」という教えを導く立場でもあるかもしれないけれど、同時に目に映るもの全てから「学んでいる」者であると思う。
そのためにも身体と心をやわらかくして、プレイフルな態度でありたいと思う。
あ、そういえば、中村天風さんもインドのヨガの聖人カリアッパ師に「真理を教えてください!」と必死にお願いしたら、「まずは頭を空っぽにしろ」という有名なエピソードもありますよね。
空っぽって、口で言うのは簡単だけど
実際、むずかしかったりするから
これも日常的に実践して習慣にしようと
思ったのでした🧘🏻♀️
……
話しは変わって、
昨夜ウチの近所のスーパーに寄ったら、
目の前にイタチ?がいたよ‼️👀
(ハクビシンかな?)
写真撮る暇なく小道に入って行ったけど、ハッキリ目撃して明らかにそうだった〜!!
(調べたらイタチに似てる〜👀ソックリな写真をネットからお借りしました)
帰ってすぐまりんに「ねぇまりん、ママ今ね、イタチ見たよ〜!」って言ったら、首を傾げて一生懸命に聞いてくれました🐶
まりんからも学ぶことがいっぱい♡
それにしても、けっこう胴長で大きくて、可愛い顔してた💛(だけど読者さんから教えていただいたのですが、けっこう凶暴なんですね😳)
めっちゃ至近距離で、
まじまじと見た〜😆
ブログ更新しました。