おはようございます(*^^*)
“自立したい女性を応援するコーチ”本田裕子です。
今日のお題は【究極の○○のススメ】です♪
私事ですが、昨日は相談に乗って欲しいと前々から言われていた可愛い子ちゃん(まだ学生♡)に、天下一品をご馳走になってきました🍜
「いつもご馳走になってばかりなので、今日はご馳走させてください」
なんて言ってくれて、ありがたくご馳走に…✨
格別な美味しさを満喫♡
でね、
「お母さん(お父さん)のためを思うと、○○が出来ない」
↑って、聞いて、
(内容もシェアして大丈夫ですって言われたけど、複雑なので本日は省きます)
私は、
「親のために…」
「親に心配かけてるから自分が我慢しなくちゃ」
「親に感謝しなくちゃ」
↑って、思わなくていいと思うのです。
ちょうど私自身も、つい先日、久しぶりに母と電話で話していました。
楽しく会話してたのですが途中、相変わらず心配性で…(笑)
切った後に改めて、
「心配かけてるんじゃなくて、母は心配したくてしてるんだから、そこは背負わなくていいな」って、思ったんです。
いやね、以前は私も、
「親に心配かけちゃいけない」
「私は、いつも親に心配かけてきた」
↑って、ずっとずっと強く思っていました。
昔から自分が「こうだ!」って、思うところだけは、どうしても譲れなくて好き勝手に生きてきて、心配や迷惑ばかりかけてきて、常に葛藤や罪悪感と共にいました。
でも、途中で気づいたんです💡
わたしは、
「裕子のために…」って、親が私のために何かを我慢するのが本当に耐えられなくて耐えられなくて…
それこそ腹に力を入れて耐えようとしていたけど、捉えどころのない怒りや哀しみが私の心とカラダ中を被ってた。。
あれ?(・・)ノ👀
「それと同じことを、今度は私がしようとしとるやん」って💡
この連鎖は要らないな。と
感謝だってね、
「感謝しよう」とか、
「感謝しなくちゃ」って
するもんじゃなくて、
沸き上がってくるもの。
そんな苦しいときに
「生んでくれてありがとう」とか「親に感謝します」とか「親を愛しています」って、アファメーションしたって無駄だから。
もっというと、逆に遠ざかったり、心からそう思えてない自分を責めるだけになっちゃう。
だからね、
親に感謝できない時は、
親に感謝できない自分を許すの。
そう。
【究極の許可】のススメです♡
これは親に限らず、
人を嫌う
【それを自分に許可する】のです。
あなたも今まで人を嫌ってしまうことって、あったと思います。
それでも、
「そうは言っても、あの人にもいいところが…」
「あの人には、あの人の事情が…」
「色々あるだろうに、私ったら嫌いな感情を持つなんて人として最低…」
↑そう思ってきた。
(昔の私。笑)
けれど、
もう、どうしても…
どう頑張っても…
好きって言われても…
自分は気が合うと思えない…
うう…( TДT)
「嫌い」
そう。
↑そう思う
「自分に許可する」
そういう人と付き合わなくてもいい。
自分の「居場所」を、心地よくしていこ♡
それと同時に、人それぞれの「居場所」って、あると思うんです。
あ、何が言いたいかというと、
「無い物ねだりをやめよう」ということ。
例えば、
お猿さんが、魚をみて羨ましくなって、戦闘モードで必死に泳ぐ練習をしていたとしたら、
どうですか?
なんだか滑稽ですよね。笑
だって、お猿さんは木登りさせたら右に出る者のいない達人なんだもん。🐒
お猿さんには、お猿さんの「居場所」がある。
そう。
どんなに頑張っても、芋の種からバラの花は咲かないですよね。🍠
でも、隣に咲いている綺麗なバラを妬んだり、戦闘モードになったり、
いや、そこまでじゃなくても、
「いいな~。それに比べて自分は…」
↑なんて、嘆いちゃうのは人間だけだよね。
でも、よーく見るのです。
それは凄く小さな種かもしれないけど…
「自分をあなどったらいかんとバイ!」
綺麗な花は咲かなくても、お芋さんは、やがて美味しい肉じゃが、カレーライス、ポテチへと。
バラにはない素晴らしい価値を灯すのだから✨
自然界と同じように私たちも、価値を与え合い、その才能を補い合い、循環しています。
ですから、他人と比べることを意識するあまり、自らの資質、その種が持つ可能性を忘れてしまいやすいのは勿体ない、と思うのです。
また話が脱線して、長くなっちゃった(^_^;)
【まとめますと】
(殆ど話してたけど)
最後に2曲ずつ歌いました(^^)
ジェネレーションギャップが新鮮でしたん♡笑