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とりとめのない自我の話

とりとめのない自我の話

こんばんは。

本田裕子です。

今日のお題は、【とりとめのない自我の話】です。

「自分は特別なんじゃなかろうか」

自分って、もしかすると何か特別な存在なんじゃなかろうかっていう思い。

わたしは、この思いを子供のころから感じていたのだけれど、あなたはどうですか?

あ、わたしは、外からの入れ知恵もあるのかなあσ(^_^;)

生まれてきたとき、母が出血多量で危篤状態になり、「お腹の赤ちゃんは諦めてください」みたいなことを言われた(らしい)のに、元気に生まれてきたもんだから親戚一同や周りから随分と「奇跡の子」と言われたのです。

って単に生命力が強かっただけですが。
(未熟児で生まれたのにこんな健康ですしw)

なのに本人も実は自分は密かに選ばれた人間なんだと本氣で思ってました。笑

でもね、あれ?

もしかしたら違うかも?って思ったのは、
中学生のとき、バスケ部の先輩と2人きりになったとき、先輩も同じことを言いだしたから。

先輩→「私は人と違って特別な存在なんやなっち感じとるバイ」っち。

それを聞いて、
わたし→「えー!なんち言いよーとー?笑。も〜先輩っち面白いこと言うなあ・・」

って思った瞬間、

「あれ?ちょっと待ってよということは、私もそういうことかもしれんやん!」
ってね。笑

中一の夏休み頃だったかなあ、たぶん。

それでもね、
正直いうと、この特別感(意識)は消えなくって、やっぱ自分は特別みたいな思いがあったのよねw

そして、
ここ数年は、周りが素敵な人ばかりで、ほんと自分はたいしたことないなあ、と心の底から感じてます。

あ、話を戻します。
そうしてわたしは、様々な経験を経て自分の弱さや愚かさを知り、そういう感覚は消えていたのに上京後は、特別意識の塊みたいな人たちに出会い、その影響なのか、その中でさえ、さらに自分は特別の特別なんじゃなかろうかみたいな感じでいたような気がする。

当時は学歴もない、人脈もない、お金もない上に、何か特別な才能があるわけでもないのに、根拠のない特別感。笑

この特別感って、自我の代表選手よね。

(ちなみにエゴと自我は違う、と私は解釈しています。長くなるから端折るけど、自我の確立が重要な点もあるから自我をやみくもに否定するのはおかしいよね)

話は戻って、様するに、わたしは単に自我が強かっただけとも言えます。笑

でね、これは、いい悪いじゃない前提で話を進めると、そのおかげで今があるようにも思うのです。

「自分は特別なんやけん、必ず道は開ける」って確信していたように思うから。

このアホな思い込みが現実に及ぼした影響は、やっぱ大きかったんじゃないかなあ。

だからね、特別感って感じてても悪い訳じゃない。

ただ自我の一面ってだけでね。

そして、以前のブログにも何度か書いてるけど、ある時、その特別感というか自我の正体に気づいたことがあって。

いわゆる思考というか、これまた言語化するのが難しいけど、単なる幻想であり、錯覚とウソの分離。

あ、何が言いたいのかというと、
誰一人、特別な人なんていなくて、
逆に言えば、みんな特別であり、

源は同じ。
みんな同じ。

それを体感して気づいた瞬間は、静寂そのものだったし、本当の意味で真からの安らぎに包まれたし、ずーっと感謝の気持ちがとまらなくて

でもね、
またすぐに出てくるんだなこれが。

こんな凄いことに気づいた私って、
なんて特別なんだろうって笑

はあ♡(*´∀`*)w

これからも、こんな自我ちゃんと、いいお付き合いをしていこうっと( ° ʖ °)

今日はとりとめのない話でした♡

……
わたしは今日は始発で姫路に

朝食は、また生春巻きを
パクチードリンク発見♡
パクチーコンビ(^o^)

ということで、
今日の姫路は晴天でした☀️

今から帰ります。
(寝るぞ)

今日も来てくれてありがとう^ ^♡

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