「私は頭が悪い」とか、
「私はスポーツが苦手」
っていうのは、単なる「劣等感」です。
これがね、
「私は頭が悪い」→「だから私はダメだ」
「私はスポーツが苦手」→「だから俺はモテないんだ。男として価値がないんだ」
っていうのは、「劣等感」に「自己否定」が混ざっています。
そう、
苦しいのは、「だからダメだ」っていう
「自己否定」であって、ただ単に「劣等感」だけがある場合は苦しくない。
例えば、
私は、前にも何度か書いたことがあるけど、学校の勉強が嫌いだったし、頭も悪く学歴もありません。
学歴ないけど、だから自分はダメだとか、
価値がないとか思ってないから、
苦しくないのです。
だけど、それが上京して一時期、
「だから私はダメだ」って思ってた時は
ほんと苦しかった。
よくね、
「自信がある」ってことについて、
勘違いしてる人が本当に多いのだけど、
「頭が良かったら・・」
「綺麗だったら・・」
「スポーツが出来たら・・」
「イケメンだったら・・」
自信がもてるのに・・って思ってる人って多いけど、
「頭がいい」とか「綺麗」、「スポーツが出来る」とか「イケメン」であることが自信を与えてくれる訳じゃないんだよ。
だって、
「頭がいい人」や「綺麗な人」
「スポーツができる人」や「イケメン」で
自信のない人はいくらでもいるから。
あ、つまり何が言いたいのかというと、
自分が「優れている」っていうことが
自信になるんじゃないんだよね。
自信って、
あるがままの自分を受け入れること。
「この自分でいい」って思えていること。
「今の自分のままでいく」って思えていること。
けっこう前のわたしのPodcastでも話してますが、わたしの知り合いに、デブ、チビ、ハゲの人がいます。
そしてその方は、それらを受け入れて、
ネタにしていたり、
「この自分でいい」と思っているから自信が漲ってるし、実際めちゃくちゃモテます。
(今は奥さま一筋だけど、奥さまがこれまた超〜美しい素敵な女性♡)
「劣等感」をまんま受け入れてる人は、自己否定がないから、そのままの自分に自信が持てるんです。
(というか正確にいうと「自信がある」とか、どうでもいいし気にしてない)
まとめますと、
「劣等感」自体は、苦しくないし、悪いものじゃないし、あっていい。
わたしが「自分を直視しよう」っていうのは自己否定でもなんでもなくて、直視したときに自分を責めたりモヤモヤするんだったら、そこをしっかり観るの。
すると、「劣等感」を悪いものとしてたり、「だからダメだ」って前提にしてる自分、勘違いしてる自分に気づくから。
わたしはモヤモヤした時、自分の中の劣等感を改善したんじゃなく、「このままでいい」って、1つ1つしてきました。
学歴ないのも、そのまんま。
ある意味、開き直りかもだけど、
直視して潔く受け入れる。
(背筋を伸ばして堂々と♡)
けど、優越感を周りに振りかざす開き直りじゃないからね。
なぜなら、
「劣等感」を拒絶して、優秀じゃないと自分に価値はないのだと思い込んでいたり、勘違いしてることが苦しいのだから。
で、どうしても劣等感を
「このままでもいい」って思えないなら、
それはどうしてなのか、自問してみて。
自分を受け入れることは
他人を受け入れること。
ちなみに他人を先に受け入れると、
早い人もいるよ^ ^
色々お試しあれ♡
そして、
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡