【“神様のはからい” 神様の「助け船」に気づかない人】
よく、「ピンチはチャンス」って言うけど、
本当そう。
わたし自身も、振り返ってみると、
まあ色んなことがありました。
そんなとき、
淡々と目の前のことに取り組み、
真摯に自分と向き合い、
ただひたむきに腹の声に従って
黙々と進んでいると、
わかる(気づく)のです。
「ああ、これは天が与えてくれた チャンスだったんだなあ」って。
「ああ、この景色を見るために、わたしをこの山に登らせて下さったんだなあ」って。
あ、でもね、
「あーあの困難は、なんのチャンスにもならなかったなあ」ってこともあります。
その共通点は、「悪者探し」をしてるとき。
★わたしがダメだから こんなことに…
★ああ、このバカなわたしが悪いんだわ…
★ちょっと、あの人のせいやん!😬…
★わたしがこうなってしまった元凶は、◯◯さんだわ!…
★社会が悪い、環境が悪い、親が悪いetc…
↑とかってこと。
こういうことをしていた時期は、あんまピンチがチャンスにならなかったなあ。
(てか当然よね(^^;;)
わたしの場合は(特に若い頃は)痛いおもいして学ぶ傾向にあったので、まあそういう時期も必要だったのかもしれないって今は思ってます。
ただ、悪者探しをしているころは、ずっと同じ場所で足踏みしてた感覚も残ってる。
(悪者探しをしたって、現状は何も変わらないから。)
もし、いま困難にぶち当たっていると感じてる人がいたら、
誰のせいだとか
自分が悪いとか
社会が悪いとか
なんでこんなことになっちゃったんだ!とか
オエーーーーーーーっと吐き出したら、
悪者探しをやめて、
少しずつ歩き出そう。
「なんて自分はかわいそうなんだ」とか、
「かわいそう」より
「よく頑張ってきたね」って
声をかけてあげて♡
「今までよくふんばって生き抜いてきたね」って( ^ ^ )\(^-^ )♡
そうしてとりあえず目の前の一歩一歩を
踏みしめながら進んでいこう。
……
わたしたちには
3つの選択肢しかなくて、
それは、
★やめる
★続ける
★変える
☆やめたいことを、思い切って
やめてみてもいい。
☆続けることを選んでもいい。
☆環境ややり方を変えてもいい。
今日という日を、
大切に生きるだけでもいい。
ほんと素敵な景色が待ってるから。
焦らずに
たまに転げ落ちたりしながら、
天が用意して下さった山に登ろう🚶🏻♀️
…
たまに突然🚁や🐉みたいなのが飛んできて、一気に上昇するときもあるけどね。
“神様のはからい”っていうのかな。
(ちなみに、“神のはからい”とは、例えば、もしAさんが困っていたら、Aさんの悩みを解決できるであろう「神の使いの人(Bさん)」を助け船として出して助ける、みたいなこと)
ただ、神様からの「助け船」に気づけない人(とき)もいる。
気づけない人(そういうとき)は、
頑固になり過ぎていたり、
思い込みが強い人だったり、
素直じゃない人(とき)。
素直に人生の道のりを楽しんでいこう♡
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡