【純度の高い人の視界は、どうなっている?】
はい、今日は昨日の続きを💁🏻♀️
昨日、わたしは、
「自分を生きている人=自分の純度の高い人」だと書きました。
そして、「自分を生きる」ために必要なことについて५✍⋆*
まず必要なのは、
自分を縛っているマイルールを解くこと。
マイルールっていうのは、「~しなければならない」といった強い思い込みのこと。
例えば、
「人に迷惑をかけてはいけない」なら、
そのルールは、
★人に頼るのはダメ
★自分が我慢すれば丸くおさまる
★わたしがわたしらしくあってらならない
★自分の思うように行動しちゃいけない
↑etcの行動や感情の「根っこ」にあるもの。
あ、もちろん協調性や周りの人を大切にして(そもそも自分を大切にしていると、周りの人のことも自然と大切にできます)行動するのは日本人の美徳でもある。
けれど、それが、
★わたしより周りの人の方が大切
★自分が我慢すればいい
となったとき、自分らしさが失われる。
表面上はうまくいってるようでも、内側でどんどん歪みが起きてきます。
あと前提として、その思い込み(や価値観)は、親や先生、世間等からもらってきた価値観や影響も多大にあります。
そう、自分で「考えているつもり」で「他人の価値観というメガネ👓」をかけて物事を見ている可能性も大だということ。
あなたの中の“当たり前”は、
本当に“あなたの当たり前”かな?
幼い頃や学生時代に必要だった、その価値観は今も本当に必要?
必要じゃないものがあれば、それを肩から下ろしたり握りしめているのがあれば離そう。
もうすべて自分で決めていい。
何をし、何を考え、何を選択し、何を決断するのか、ぜんぶ自分の手で掴めるのだから。
★でも、時間(お金)がないし…
★でも、嫌われちゃうし…
★でも、居場所がなくなっちゃうし…
とかって思っているとしたら、
それが「偏見のメガネ👓」だということ。
その偏見のメガネを外したら何が見える?
その偏見のメガネを外せない理由は何?
その最も大きな要因は、そのメガネをかけていることに気づいていないから。
「人に迷惑をかけてはいけない」って当たり前じゃん!って思ってるから。
そこを深掘りして聞いていくと、
「迷惑をかける→人から嫌われる→怖い」とかって出てきたりするのですが、こういうときは、「大丈夫」を体験してみること。
思い切って安心できる関係の人に頼ってみたり、嫌ならNOと言ったり、我慢するのをやめてみる。
すると、世界は優しいことや、不安なことは起こらないってことが体感する。
「怖いからやめとこう」→「怖いけどやってみよう」って腹をくくったとき、必ず人生は好転するし、挑戦した数だけ偏見のメガネ👓も外れていきます。
メガネが外れると、
世界が全くちがって見えます✨
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡