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なぜ、視点を広く(高く)することや思考の余裕が大切なのか?

なぜ、視点を広く(高く)することや思考の余裕が大切なのか?

【なぜ、視点を広く(高く)することや思考の余裕が大切なのか?】

『世界は人の数だけある』のだと、知らない限り、「苦しみ」の連鎖は続いてしまうんじゃないかな。
(ここでいう「苦しみ」とは→「これこそが正解だから、あなたもこれに合わせなさい」という圧力のこと。)

……
又、金曜日のPodcastの放送でも話してるけど、
★何かにつまづき続けてるのなら、あなたの頭の中の考え方がつまづかせているだけ。
(別の何者かになる必要はなく、視点と頭の中を変えればいいだけ)

視点が広く(高く)なってくると、必要以上に悩むことが殆どなくなってきます。
(問題を創り上げる事なく問題視することがなくなってくる。)

例えば、
これはクライアントの実例ですが、
お子さんの不登校に関して、
「学校に行きたくないんだね。行きたくないなら行かなくてもいいよ」ってなったら自然と改善したらしく、
「大丈夫だよ♡という気持ちでサポートするところはサポートしたら、あとは放っておいて大丈夫なんですね。子供ってたくましいですね!」と、その後おっしゃってました。

視点が狭いと、どうしても問題視しちゃいがちだし、自分や誰かをを責めたり、そういうときの頭の中は、その人が無意識のうちに がんじがらめに持っている前提の公式があったり、選択肢も1つしかない!って考えがち。

それは、
「学校に行かない」→「とても悪いこと」→「不幸になる」という前提の公式だったり。
(ちなみにわたしの公式は、「学校に行かない」→「いいこと♡(行かなくてもいい。=一概に悪いことではない)」→「どちらにせよ幸せになる」ですw だってわたし自身、たいして学校に行ってないし学歴もないのに、これだけ楽しく生きてるのですから(((o(*゚▽゚*)o))) )

学校は、行っても行かなくてもどっちを選択してもいい♡っていう価値観があれば、問題じゃなくなる。

他にも、
「離婚すること」→「とても悪いこと」→「不幸になる」とかね。

そういう人は、その人の前提の公式が、「◯◯」→「とても悪いこと」→「不幸になる」になってたりする。

そういえば、わたしはよく書いているけど、ビビり(臆病)なとこや、せっかちなとこ、おっちょこちょいなとこがあって、昔はそれが嫌というか、ビビりやせっかちやおっちょこちょいは悪いことだという公式を持っていたから直そうとした時期があったけど、よく考えたら、それらがわたしを支え、助けてくれていることに気づきました。

この前行ったディズニーシーでも360度回転するジェットコースターに乗ったとき、一番上まで上がって🎢一瞬止まって、ビビりでおっちょこちょいなわたしは、一気に急降下すると思って「うぎゃー!!😱」って叫んだら落ちなくて😳、「あれ?落ちんやった」って独り言を言って、周りの人を笑いの渦に🤣笑

我ながら面白かったですし🤭そうして一緒に笑ってくれる人がいるって、めちゃ幸せなこと🤤♡

あ、あと斎藤一人さんも↓こう言っています。
「ほとんどの人はその大切な臆病を治そうとするの。せっかくいいものがくっついてるんだから活かさないと」と。

ですから 一度、「◯◯」→「いいこと♡(一概に悪いことじゃない)」→「めっちゃ幸せになる」という視点を持ってみると、選択肢の幅も広がります(╹◡╹)

人は精神的に追い込まれて選択肢がないと思うと心が壊れますから、視点を広く(高く)することや、思考の余裕って大切だとわたしは思うのです。

すべてはあなたの更なる幸せにつながっていることを信頼して♡

今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡

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