
【枠から抜ける】
3つ前の記事
『極貧だったあの頃、 わたしの原点♡」に、↓
1年前の昨日、生後約2ヶ月のまりんと札幌出張中に出会い、ただただ「キュン」という心の声に従って 一緒に帰京した日でした
↑と書きました。
……
そう、
何かを行動するときや 表現するとき。
それは、
★心の声(自分のピュアな想い)や、本来の自分の(目醒めた)意識の在り方なのか
それとも、
★頭の声(自分以外のもの)や、外側を何とかしよう!という(眠ったままの)意識の在り方なのか
例えば、
その基準が“お金”になっていたりすると、
「やりたいことがあるけど、お金がないから出来ない」
「お金があれば欲しい」
「あそこに行きたい!けど、お金がないから無理。。。」
↑てな感じで、完全にお金に左右される。
これは、お金に限らず、
★親や誰かの価値観の基準に従っていたり
★怒られないように・嫌われないようにするためだったり
★世間の常識に従っていたり
そもそも「常識」だって、わたしたちの眠った意識がつくりだした「枠」でしかないわけで、目が醒めると 当然この「枠」を抜けていきます し、外側に意識を向けているから、「怒られないように・嫌われないように…」ってなっちゃう。
(外側に問題があると思ったり、外側を変えようとしたり、外側に何かを求めたり)
問題は外側の誰かや何かではなく、自分の内側の意識(それを映し出しているフイルム)なのだから、自分が使っているフイルム(周波数)を先ずは知って、心地の悪い重いものを手放していくと、どんどん軽やかになります
自分以外のものに左右されながら生きるのか
自分の心の声(ピュアな想い)に従うのか
お金(や誰かや何か)を理由にして、
そういう枠の中で、お金(や誰かや何か)
に左右されながら生きるのか?
それとも、
その枠の外へ抜けて 自分の心の声を羅針盤として生きるのか?
もちろん、どちらも自由♡
(そこに優劣はない)
「自分が喜びを感じるのはどっちかな?」
「自分はどう在りたいかな?」って、自分のハートに(腹に)聞いてみるといいかもしれません。
……
この埼玉の公園は、お正月にまりんが
つよちゃんファミリーの皆さまに連れて行ってもらっていた彩湖・道満グリーンパークです
動画を見たとき、
「わあ〜!!皆んな遊びに来てる(ご降臨
)」って確信しました。
なので、絶対に行きたい!って思っていて、実際に行ったらやっぱり
\( ˆoˆ )/
最高に気持ち良くって、まりんにお散歩してもらいました
(また無意識に「あい♬あい♬あい♬」って言ってる〜爆)
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あ、そうそう
まりんのパテラについて、あたたかいお言葉やお気持ちを沢山頂戴し、ありがとうございます!
おかげ様で最近のまりんは、調子いいです
又、まりんのパテラが判明してすぐ、つよちゃんママからも 本当にピュアな想いや深い愛に溢れた あったかいお気持ちを頂戴し、じーん
あーほんと幸せ者の娘です
今日も来てくれて有難う^ ^♡