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自分の心をオープンにして、意図的に考えること=感じること。

自分の心をオープンにして、意図的に考えること=感じること。

【自分の心をオープンにして、意図的に考えること=感じること。】

わたしは、よく『正しい・間違いはない』って話したり書いたりしてるけど、自分の心をオープンにして考えることって凄く大切。

もっと素直に、もっと純粋に、小っちゃい頃に持っていた想いを、そのままに。

それは何だろう?

それって本当かな?って。

何もかもを疑うっていうのじゃなく、

何もかも盲目的に信じるってことでもなく、

そもそものそれが当たり前だと思われていることをこそ、

そのもっと奥、そのもっと根本、

そのもっと中心を。

答えは自分の心のずっと奥にある。

……

例えば、

『正しい』って、そもそもなんだろう?

誰がそれを『正しい』って決めたの?

もっと正しくありましょう

正しい行動をしましょう

で、その正しいって、なんだろう?

深く考えていけばいくほど

『正しい』が何なのか、

わからなくなってくる🙄

実は、何かを正しいことしていると、

なんだか『許可』をもらった気になれたりする。(存在価値や行動にね)

『あなたは堂々といていいですよ』って

言われた気分になれたりね。

だって、

あなたは『正しい』ことをしたのだから。

で、正しいって誰がいつ決めたの?w

そんでもって、

本当に正しくありたいの?

それとも

自分は生きてていんだって許可が欲しいの?

正しくないとどうなるの?

もし自分が正しくないことをしたら、

愛されないのが怖いの?

本当は何が怖くて、

『正しく』あろうとしてるの?

本当は何が欲しいの?

この答えも自分の心のずっと奥。

……

正しくあろうとすると、 頭の中は、『こうすべき!ああすべき!こうしなきゃ!』でいっぱいになる。

そうして『自分の人生ははたして正しいんだろうか?やるべきことをやってるんだろうか?』そんな不安が表面に上がってくると、多くの人は自分の使命を知りたくなったりする。

でも自分の使命を知っても、その使命が本当に神の意志のとおりに遂行しているって、どうやって確認するの?って思う。

神が言ったから『正しい』の?

(それで人は沢山の戦争をしてきたし、ヒーローになるために悪を創り出したりもしてきた。)

神さまは自分の中にいる。

あと、この前アップしたYouTube

『感謝しましょう、とかじゃなくて、感謝の気持ちが湧き上がってくるよ』って、わたしは話してるけど、

じゃあ、『感謝の気持ちを持つことが、人として正しいですよね!!』って言われると、

う~ん。。。

確かにそういう気もする。

そこで気づく💡

あれ?どうしてそういう気がしたんだろ?

あ、あったかい気持ちだ

大切なのは、

正しいかどうかじゃなくて、

そこに愛が(ぬくもりが)あるか。

正しくあろうとすると、

全体を正しいものと、正しくないもの、に分けてしまう。(分離だね)

でも、愛をベースにしていると、

すべてが感謝になるって知る。

統合だね💞

わたしの中では、自分の心をオープンにして意図的に考えるということは、自分との対話であり、ひたすら自分と語り合う、ということであり、感じるということ。

……

先日アップしたYouTubeの放送の最後に、まりんと2人で公園デートをしてる動画をアップしてますが、この日は本も持参して自然の中でゆっくり読書。

この日は、池田晶子さんの

14歳からの哲学』を📖

池田晶子さんの本は10年くらい前から愛読していて、56年前にイベントした時お会いした方々にシェアして好評だったのですが、久しぶりに読み返して感じたのは、読書というのは、結局いつも内省し、自分自身と深く対話することになるので、毎回新たな気づきをいただく。

最後に池田晶子さんの著書から

善悪は自らの内に問うしかない。

生活のための教育は、人生のための教育ではない。生活のための教育しか受けなかった人間は、生活のために生きることしかできない。いかに生活するかは知っていても、生きるとは何なのか知らない大人は、たんに先に生きているだけであって、何を知っているわけでもない。

ありのままの自分なんか見せたら、嫌われるかもしれないって?かまわないじゃないか。ありのままの君が嫌いな人とは、友だちにならなければいいだけじゃないか。

自分が今ここに存在しているということが、それ自体で奇跡的で絶対的な出来事なのだと気がつくのなら、人は、自分とは別のどこかに絶対的な神を求める、もとめて信じる必要がなくなる。逆から言えば、今この現在こそが絶対であり、この自分こそが神であり仏だということだ。

善悪を自分で考えない人は、誰かが決めてすでにそうなっている善悪に従って生きるようになる。この社会ではっきりわかる形になっているのが法律というものだ。善悪をつきつめて考えるのは大変だから、逆に人間は法律を作り出したとも言える。法律は決して善悪じゃない。法律に従うことがよいことで、法律を犯すことが悪いことなのじゃない。なぜなら、法律は時代や社会によって全然違う。ある時代にはよいことが、ある時代には悪いことだ。

『考える』とは、自己を無限にむかって開くことである。考えるとは、無数の他者とつながることである。また、自分自身とのつながりを回復する営みでもある。

(池田晶子さんの言葉は切れ味が鋭くて個人的に好きなのですが、書かれている言葉を鵜呑みするのではなく、深く深く考えさせられ有難い。又、同じ犬好きの池田さんの別の著書からはワンコをこよなく愛す気持ちがひしひしと伝わる

……

さてと、弊社は14期目の決算も終わり、先月から15期目に突入いたしました🙏

冷えてますね☔️

暖かくして

今日も来てくれて有難う

🙏^ ^♡

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