【あなたは世界がどう見えている?】
日々ブログを書いてると面白い発見や、又、クライアントでブログを書いている方から相談を受けることがあり、よくあることだけど、ほんと「人は鏡」です。
例えば、大変なことがあり、不安な感情を感じたことや、しっかりと向き合いたいことを(最近だと、まりん🐶のワクチン副作用の件)を書いたら、「まだ不安を感じるんですね!笑」とか、「真摯に向き合ってる姿に勇気をもらいました!」とか「愛を感じました!」etc…。
もちろん、そこにいいも悪いもないし、それは受取手の自由。
又、ご自身の写真をアップしている人を見て、「自撮りばっかアップしていい気になりやがって」という人もいれば、「笑顔に癒されます」とか「パワーをいただいてます」っていう人もいます。
別の例だと、1人遊びをしてる人を見て、
「楽しそう」ってとる人もいれば、「孤独で寂しそう」ってとる人もいる🤓
(それを言われた方も、何とも思っていなければ特にグサッとくることはないのです)
これぞ「人は鏡」です。
つまり、同じ事象を見ても、人によって全く感じとる部分が違う、ということ。
相手や世界は、自分の心を映すもの。
同じ空や自然等の景色を見ても、
「ああ、何て美しいんだろう♡」って感じる人もいれば、「ああ、何だか物悲しく(物寂しく)見える」って言う人もいる。
見え方はそれぞれで、その人(見る人)の心の状態が現れている。
ですから、自分の心の内側を見つめると気づくことや面白いことがあります。
★なぜ自分はそう感じるんだろう?
★なぜ自分はそう見えるんだろう?と。
例えば、誰かが海外旅行に行った風景をSNSにアップしているのを見ると、
「わあ、素敵なところ!自分も行ってみたいな」ってとる人もいれば、「なによ、自慢してて嫌だわ」ってとる人、「わあ、なんだか一緒に旅行してる気分になって楽しい!」ってとる人もいる。
これも単に見る人の心の中を写しだしてるだけ。
「自慢」っていうキーワードが出てくる人は実は自慢したいのかもだし、もしくは自慢する人が嫌い、って思っている人なのかもね。
(単なる嫌いなら「自分はそう在りたくない!」と決めたら、もうそこにはフォーカスしないでスルーしますから)
ただ、発信してる人は事実を言っているだけなのに、いつも「自慢」だととってしまう場合、自分も自慢できるような事を言ってみたい、ということのほうが近いのです。
(必要以上にフォーカスしないですから)
もし周りの人に対して、いつもイライラしたり、相手の不足なところばかりに目がいったり、怒りを感じることが多いのならば、そこに勇気を持って向き合った時、自分の中にある貴重なものを見つける事ができます。
先日も書いたけど、
わたしたちは皆んな神様の子(仏子)。
他人の目を気にしたり遠慮して自分を小さく生きることは世界の役には何も立たないし、自分の中にある神様の光を、それぞれが素直に表現していい。(子どもや🐶のように)
自分を生きている人は、(無意識に)他の人に同じように、自分を生きる許可を与えている(背中を押している)ようなものだし、そもそもわたしたちは自由であり、自由って素敵なことであり、そういう人は他人の自由も尊重しています。
さて、今あなたは世界がどう見えてますでしょうか?
あなたが今、感じてることは、あなたの内側の何を現してますか?
あなたが見えている世界は、世界がそうなのではなくて、あなたが作った創作物。
ってことは、
どうとでも自分で創作できる。
昨日は初対面の方の単発セッションでした。
外見内面ともに美しく、とっても素敵な方でした✨
彼女はわたしのことを「無邪気」とか「素直」って言って下さったのだけど、まさに
彼女が「無邪気」で「素直」な方でした♡
素敵な🎁まで頂き、今夜帰宅後に🌸&あたたかいお気持ちと一緒にいただきます。
残りお2人のセッションで(今月いっぱいで個人セッションは)終了しますが、素敵なご縁に恵まれていて✨このご縁を大切にしながら引き続き最後まで楽しみます♡
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡