【大丈夫の真意】
「大丈夫」というのは、気休めでもなければ個人的な信条でもなく、真理。
今回、地元の親友とLINEのやり取りしていて、たまたま出た一言をテーマに、昨日スタンドFMで詳しくお話しました♪
ということで、今回の放送は、『大丈夫の真意』というテーマでお話しています。
https://stand.fm/episodes/6291670f128eae000635df70
★メッセージはそれを伝える側(受け取る側)の洞察の程度によって全然変わってくる。なので、どちらにせよ自らの洞察を深めることによってダルマを生きることになる。
ここでよく似た比喩として、
↓ブッダの言葉の言葉をシェア♪
「聡明な人は、賢者の発した一言で多くの真実を理解します。しかし愚かな人は賢者が言葉を尽くして教えたとしても、何ひとつ理解しないでしょう」(スッタニパータ)
★何となく外側の出来事にいつも同じ反応をして惰性で過ごしていたり、何らかのネガティブな気分やイメージが、心に生じてきたときの私たちの通常の反応は、それにハマり込んで溺れるか、反発して戦うか、蓋をするか、目をそらして回避しようとするのだけど、それだと根本的な解決には繋がらない。じゃあ、どうすれは解決の道が開かれるのか?
★本当に正気な人が見抜いていること
★エゴが生み出すポジティブな感情と、源とつながった本来の状態から流れてくる(溢れてくる)深い感情は全く違う
★「今に在る」ですら、自我が「あろう(DO)」と取って代わってしまうと実在を覆い隠してしまう。在るはBE
etc…是非お聴きください(╹◡╹)♪
……
私が感じているのは、ある意味 ダルマの本来の自然な状態に戻すのが責任者としての私たちの役割。
なぜなら、ダルマ=命の流れに沿ったものであり、調和・循環・拡大だから。
ダルマの世界に生きていると、自己の幸せ・喜び=他者の幸せ・喜びが一致する。(方向性が同じ)それが調和であり、喜びや豊かさの循環や、拡大するという流れのフローに入る。(プンニャ)
逆にダルマから外れていると(パーパ)、嫉妬や批判、他者の成功を見て焦ったりetc…が生じる。
自分のことしか考えていないから。
(自分の認識の範囲が狭いから)
だからこそ、私は(道半ばとはいえ)、
この日々の実践や広がり自体が喜びなんですよね╰(*´︶`*)╯♡
写真は父と臼杵に行ったときの。
階段を上がってみたの、分かるかな?
(ウォーリーを探せみたい♀️( ^∀^)
あら、古いかしら?)
今日も来てくれてありがとう^ ^♡