【人がエゴイストに堕ちるとき】
『今の日本人は、死に関することを考えたり口にすることを忌み嫌う傾向があるが、いくら目をそむけていても死は必ず訪れるのだから、死も人生の一部と考えて準備しておくべきである。準備も覚悟もない人が死に直面すると、とにかく一分一秒でも長く生きていればいいという選択しかできなくなり、結局は自分や家族を苦しめることになる』( by: 医師 中村仁一)
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私自身も若い頃、死をタブー視?する傾向にあったというか、そのような話を聞くのは何か嫌な感じがしていたのですけど、
それはそれだけ死というものを過剰に恐れ、目を逸らして逃げていたから。
だけど「死」というものと真正面から向き合えば向き合うほど、生と死は対立する概念ではなく、生まれたものは必ず大自然に還るのだから死ぬことは問題ではないと腹に落ちたと共に「生」が充実してきました。
逆にいうと、目を逸らしているときの方が傲慢だったし、惰性を生んでいたなって思う。
私は8月2日インスタ記事に『人生はあっという間というけれど本当そうなんだろうなと思う。人は必ず死ぬ。いつ死ぬのかは 誰にもわからないけど、誰もが必ず 例外なく死ぬ。だから死ぬことは問題じゃない。素直にちゃんと生きなかったことが問題。愛ダダ漏れで生きなかったことが問題』と書きました。
これは『こう生きたい(在りたい)』というものを書き綴ったのですけど、生き方が定まればおのずと死に方も定まってくる=それが死生観にも繋がると感じています。
日頃から自分の生き方を振り返り、それに従うようにしていると感謝の念が湧いてきて、ただ今に愛といのちを注ぐことが格段に増えてきたから、なんです😌
死生観も人それぞれあると思うけど、両親とか周りの人の死生観を聞いたり👂対話をして、それを心から尊重したいと思う。
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冒頭の中村仁一先生は、特別養護老人ホームに勤める現役のお医者さまで(昨年お亡くなりになっています)、そこでたくさんの高齢者の死に関わられて、
『大往生したけりゃ医療とかかわるな』という著書を出されています📕
私は以前に読んだとき、
・自然死は痛みなく安らかに死を迎えることができる
・末期ガンは猛烈に痛むという常識があり、それを中村先生も最初は信じていたけれどガンによる自然死を何十回も看取った経験から、この常識は間違いだったと。それは殆どの医師が自然死を見たことがないから知らないから、だと。
(ネットにそのまま抜粋された記事を見つけたので、画像にてシェアします)
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あと先日、たまたま私がここ数年、友達や両親と話していたことと同じ想いの先生(看取り屋ではなく、生き抜き屋と書かれています✨)を見つけて感動したことを昨日のストーリーにリンクを貼ってアップしたのですけど、もう消えちゃったので↓こちらに残しておきます♪😊
https://twitter.com/ryokuhei/status/1553473153711878144?s=21&t=ulzlHnrxuToiuKM4mC57zA
https://twitter.com/ryokuhei/status/1543704040466694144?s=21&t=uu5DMIg7L67vDP6RD4emDg
人は、自分が死ぬことを忘れると、
容易にエゴイストに堕ちる。
私自身も心身の健康に気をつけていたり、美容も大好きだけど、自分の中で死生観をしっかり持つことは腹が決まるし、それが生き抜くことでもあり、喜びや感謝と共に今ある幸せを感じながら、ただ今に愛といのちを注ぐことが格段に増えるのだなって実感しています。
又、ただ長生きするより、どう命を使うかだと思っているので、昔からブログに書いていますが、死ぬ瞬間に「あ〜楽しかった!」と言って亡くなった宇野千代さんの生き様や桜の在り方は粋だと思う🌸
そして
「生かされ、生かして、生きる」に尽きるなと思う今日この頃でした。