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対機説法

対機説法

こんばんは(*^^*)“自立したい女性”を応援するコーチ”本田裕子です。

今日のお題は【対機説法】です♪

はい。ちょっと格好つけて題名にしてみましたが、実は今日、覚えたばかりの言葉です(^_-)

仏教では、お釈迦さまが説法されるときに、機をみて法を説いたことを「対機説法」っていうそうです耳

この“機”とは、法を説く相手のことで、その人の年齢や人格、まわりの環境や生い立ち、性質や物事の理解度から心理状況etcを踏まえて、その人に合わせて話をされていたんですって。

これは、本当に凄く大切なことだなって私は思いました。

なんていうか名言だったり、成功者の言葉のごく一部だけを抜き取って、スローガンみたいにして何でもかんでもに当てはめるのって、微妙だと思うのです。

例えば、マザーテレサの有名な言葉で、「“愛”の反対は“無関心”である」

↑この言葉を用いる人は、結構いらっしゃいますし、私自身も以前、ブログに書いたことがありますメモ

“愛”⇔“無関心”なら、“無関心”の反対の⇔“関心” は=“愛”になります。

これって変ですよね?

だって、道で倒れて苦しんでる酔っぱらいのおじさんがいたとして、そのおじさんを見てスルーする“無関心”は、もちろん愛ではないです。

でも、道で倒れて苦しんでる酔っぱらいのおじさんを、蹴っ飛ばすような“関心”は“愛”どころではなく、“無関心”よりまともだとは到底思えません。

↑極端な例ですが…(^^;)マザーテレサの言ったことは、文脈があったはずなんです。

そして、相手がいての言葉。

それをね一切、無視して全てに当てはめると、おかしなことになっちゃう。

「向き合う」とかって言葉も、むやみやたらに何でもかんでも向き合えばいいって訳じゃないし、スローガンみたいに「向き合う!向き合う!」って用いるのは、個人的に(・・?)って感じます。

例えば、「死」について話すとき。

★5歳の子に、「死んだらどうなるの?」って聞かれた時、★15歳の子に、「人間はいつかどうせ死ぬんだったら、生きてる意味ってあるのかな?」って聞かれた時、★25歳の恋人に、「死んでもずっと一緒にいよう!死んでも一緒にいられるかな?」って聞かれた時、★35歳の友人が、疲れきった顔して「死んだらどうなるのかなぁ…?」って呟いた時、↑全てに同じ言い方や応対をすることは、ないですよね。

たとえ自分が、「あの世なんてない」って思ってても、5歳の子が不安そうな顔してたら、「大丈夫だよ。天国に行くんだよ」って言ってステキな童話の話1つでもしたくなるかもしれないし、25歳の恋人には、「うん!死んでもずっと一緒だよドキドキ」って言いたい。

あ、感銘を受けるのが変とかって事じゃなくて、今の自分にどう当てはめるのか?が、大事だな~って思ったのです。

お釈迦さまや、マザーテレサは、目の前にいる人、その人その人の状況に応じて、個別の苦しみや悲しみ、痛みに寄り添ったり、その時々で、それぞれの人に最善の言葉をかけていたのだと思います。

今日は、私のテーマにしている「自立」の定義について、また深堀りしてたら、ここまで脱線しちゃいました(^^;)

今目の前の人、その人の状況、そして今の自分、これを意識していこう!って、思いのままに書いてみました。

そして、「愛」の定義は、更に深い~。

今日もお読みくださり、ありがとうございました!

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