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同じ「固執」でも違うこと

同じ「固執」でも違うこと

こんばんは(*^^*)“自立したい女性”を応援するコーチ”本田裕子です。

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今日のお題は【同じ「固執」でも違うこと】です♪

今日は、またまたペンギンふとひらめき電球感じたことを書きたいと思います。

私は、昨日「自分と対話して、囚われを手放していく」と、書きましたメモ

「囚われ」とは、何かに「固執」しているという意味があると思うのですが、同じ意味合いで「こだわる」っていう言葉がありますよね。

辞書で調べてみたら、こだわる→「心が何かに囚われて、自由に考えることができなくなること」と、ありました目

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あれ?それほど違わない??いや、私には大きな違いがあるように思えてならんとですペンギン

私なりの解釈ですが、この2つの言葉の違いは、「こだわり」→は、自分で自覚している(主体的)。

そして、自分にとって本当に大切なものをしっかりと見極めるもの。

「囚われ」→は、自分で自覚していない(被主体的)。

そして、悩みを作り出すもの。↑そう、自分が「固執」していることを自覚してるか、してないか、という違いがあると思うのです。

例えば私の場合ですと、幾つかの「こだわり」を持っています。

その中でも、特に大事にしているこだわりは「自分のハートの声にしたがって耳生きる」というものです。

これがね、以前ちょっと無意識のうちに「周りの期待に応えなくちゃいけない」って囚われていた時期がありました。

その時は、自分のハートの声が聴こえなくなったんですよね。

↑この経験から感じたことは、自分の「こだわり」の通りに生きている時は、軸がしっかりしていて、何か自分の中からエネルギーや力が沸き上がってる感覚があるのですが、逆に知らず知らず…無意識(無自覚)のうちに何かに囚われている時は、自分の中が何か濁るというか、よどみができてしまう感じがします。

ですから、主体的な考え方をした自分の中の「こだわり」は大切。

スポーツや試合にしても、こだわる事は大切で、囚われない事も大切。

ここで、気をつけたいのが、囚われに繋がる固執や、こだわりは手放していくように柔軟性を常に意識しようという点です。

私自身、正直にいうと、ここ最近の自分の内側の変化が凄くて、それに伴って!?外側に、様々なことが起きまくっています。

沢山の良いこと。沢山の悪いこと。

あ、もちろん善悪はないですし、今の現状は色々な事が、ごちゃごちゃしてますが、何故か自然と不安が消えていて、「どんと来んしゃい!」みたいな気持ちになっていますペンギン

不思議~。これは、周りの人、環境の力が強いな~って本当に思いますキラキラ

あと、囚われに気づいて目手放す作業を繰り返し中だというのもあります。

囚われを手放すと、世界が拡がりますキラキラ(「囚われ」は主体性がなく悩みを作り出す要因でもあるから)

あ、追加でもう1つ気をつけたいことがありますひらめき電球

それは、よくスピリチュアル系で「全面的な受容」とか「すべてを受け入れましょう」とかって言葉を耳にしますが耳「こだわるというのは逆の選別する行為だと思うのですが、それでいいのでしょうか?」って質問をいただいた事があります♪

私の答えは「それでいいのだ」ですペンギン

なぜなら、「すべてを受け入れましょう」っていうのは、私たちが無意識に自分で作った囚われを外すことを意図した言葉であり、こだわりとは先ほども書きましたが自分にとって本当に大切なものをしっかりと見極めることだからです。

ですから、「すべてを受け入れましょう」って言われたからといって、「は~い。私は何でもかんでも受け入れまぁ~す」って額面通りに実践するのはナンセンス。

さて、あなたは何かに固執しているものはありますか?それは「囚われ」ですか?それとも「こだわり」ですか?

自分に力を与えてくれるものを主体的に自覚して選択し、そうでないものは思い切って手放すと、そこには、きっとこれまで見えなかった可能性の地平が拡がることでしょうキラキラ

一緒に拡げましょ~(*^o^)/\(^-^*)

本日もお読みくださり、ありがとうございました!

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