
おはようございます。
本田裕子です。
今日のお題は、【それは商売だから】です。
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思うのですけど、
これだけ豊かな時代なのに、
謎の幸せブームというのかなあ。
(いつの時代もそうなのかも)
★「幸せになりましょう」
★「不安を解消しましょう」
★「トラウマを癒しましょう」
★「怖れをなくしましょう」
★「悲しみを取り除きましょう」
↑と言われた方が価値があると、人は(当たり前のように)思い込んでたりします。
まあ、人の不安を解消してあげるのが資本主義社会にも、マーケティング的にも商売的にもいい訳ですから、そうなるのでしょうね。
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例えば、
「悲しい」という感情。
もしくは、
「寂しい」という感情。
これらの感情を感じるとき、
同時に必ず「ぬくもり」や「あたたかさ」もあるのです。
だって、そこに「ぬくもり」や「あたたかさ」がなければ、人は悲しいとも寂しいとも思わないから。
つまり、
あたたかさや、繋がっている体験や体感がなければ、悲しさや寂しさも感じられない、ということです。
そう、
悲しい感情や寂しい感情が溢れている時こそ、同時に優しさやあたたかさ、ぬくもりもある。
だから、
「寂しい」って感情も、単に「寂しい」のではなくって繋がっていたことを知ってる証拠、なんだよね。
つい先日も書いたばかりだけど、
例えば、自己否定感の強い人は、その裏側に「自分はこうなりたい」って強い気持ちがあって、そうなれてないからダメだと思ってるの。
この「なりたい」に気づいてあげて、
「ダメでもいい」とOKを出すと、
「なりたい」ほうに自然とエネルギーが注げるようになる。
結局は、
いつも私が言ってる「オールOK」ってことに辿り着くのですが。
どんな感情もOKだし、
いま目の前の現実もOK。
って考えたときにね、
★今すぐ悲しみを解消することや、
★恐れをなくすこと、
★もしくは、
それらを持っているとか持っていないとか、
↑っていうことに対して、
価値はないのだ、と言える。
(繰り返しになりますが、商売的にはいい訳で、そう言われた方が価値があると人は思い込みがち、ですが)
って書いている私自身が、
少し前まで「悲しい」とか「寂しい」という感情を強く感じて、このことを改めて実感したから、なんです。
自分が決めたことであり、そこに後悔もないのだけれど、勝手に涙が溢れ出てくる😭
私の場合、それだけ大切だった、ということ。
そう。
とてもとても大切だったんです。
だからこそ自分の中で決断し自分から行動した。
でも、感情はそう簡単に整理つなかいのか、この何とも言えない言語化できない感情に、最初は自分でも凄く驚いた。
似たような体験はあっても、このような感情が沸き上がってくるのははじめてだったから。
★後から知ったこと。
★後から気づいたこと。
★ものすごい感謝の気持ちが深い深いところから溢れ出てきて止まらないこと。
それによる様々な痛み。
その痛みによる悲しみや寂しさ。
悲しいということの裏側に、
とてつもない ぬくもりがあった。
だから、心が引きちぎられそうになりながらも、どこかで「もうしばらく感じていたい」と思う自分もいた。
とても寂しいのに、とても嬉しかった。
とても苦しいのに、とても幸せを感じた。
あ、何が言いたいのかというと、
片一方の感情だけじゃなくて、そこにセットでついている「ぬくもり」や「あたたかさ」に気づいたら、
そもそも、その感情をどうこうしようとさえ思わなくなるよ、と。
それこそ知識やテクニックを使って、どうこうすることも出来るんでしょうけど、
改めてどんな感情ともたたかわなくていい、と私は思ったのです。
悲しくても寂しくても感じることを恐れなければ抵抗は生まれない。
いま目の前の現実に抵抗することだけが、
又、たたかうことだけが苦しみを生み出すのです。
だって抵抗がなければ、
悲しみは単なる悲しみ、
寂しさは単なる寂しさ、でしかないもの。
そして、その悲しみや寂しさは時として、
自分の中にある愛を証明してくれる。
と個人的に思ったのでした。
オールOK♡
どんな感情とも、たたかわなくていい。
このことを受け入れられる自分がいると信じた者だけが、そのプロセスを楽しめるようになると思うから。
(もちろん受け入れなくてもいい。それさえオールOK♡)
そして、もちろん商売が悪いって訳じゃなくて、情報を受ける側だったら、自覚できてると無駄に振り回されずに、それも楽しめるんじゃないかしら、と思ったのです。
さて、普段の私は手のネイルはシンプルが好きなのだけど、久しぶりにボルドー系で足とお揃いに💕
あ〜〜気分も上がる♡
秋ですね〜🍁☺️
本日もお読みくださり、ありがとうございました。