おはようございます。
本田裕子です。
今日のお題は、【人間関係の変化に伴う生きるセンスとは?】です。
人っていうのは常に一定という訳じゃなく、
人生の中で精神的に安定している時期と、
不安定になりがちな時期があります。
生きてると色々なことがあります。
私は よく「特に女性は無駄な苦労は要らないよ。顔に出るから」と言ってはいますが、
それは「しなくていい苦労はしなくていい」という意味で、
…………………………
これは過去記事を1部↓抜粋ですが、
★「苦労や我慢が美徳」
★「苦行を乗り越えないと掴めないものがある」
★「辛い事は辛抱してると報われる」
★「苦労や我慢こそが人間を磨いてくれる」
↑とかって言ってる人。
何を見て、何に触れて、何を感じてきたのかな?
正直にいうと個人的に、かなり意味不明です。。
ほんと無駄だから。
そんなことを言う人からは、すぐに離れた方がいいよ。
私の周りには居ないけど。
女性は特に苦労しなくていい♡
不快な気持ちを我慢しなくていい。
無視してシレーっと、すぐに離れちゃおう!
なぜなら、女性が苦労したり不快な気持ちを我慢してるとマイナスなオーラが染み付くのです。
もっというと、そのマイナスなオーラに拍車をかけるように、更に苦労や不快さを与えたがる人間が集まるのです。
すると益々…マイナスな不幸オーラが強まる。。。
沢山の女性を見てきて、私が素直に感じることを書いてみました。
…………………………
↑この前提の上で、
それでも突然、
苦しいことというか、しんどいことが起きたりすることはありますよね。
すると、不安定になったりもします。
人間ですもの。
そんな不安定な時期こそ、
ときに “気張る” ことが大事だと
私は個人的に思っています。
私自身、この“気張り”に、ほんと何度も救われましたし、天が味方してくれているのだと勝手に信じています。
もちろん他人にも “気張りなさい” とは思わないし、強要するつもりは全くないのだけど、、
気張ることもせず依存的に何かに取り憑かれた様になる人や、性根の腐る人、
又、あまりにもその不安定さが強烈になり過ぎると、それまで一緒に交流を保てていた周囲の人たちとの歯車が合わなくなって、何かとすれ違いが起こることって、よくあります。
こればっかは、周りがどうすることも出来ず、 全て相手の問題、相手の領域でもあるため、
あまりにも不安定な生き方、性根が腐りすぎた状態や心の状態が顕著になってきたら、それがどんな形で結びついたご縁であれ、私は一旦、距離を置いて静観するようにしています。
やはり最終的には、本人の生きるセンスなのだと思います。
そういえば、つい先日も
ラクして幸せになる、ラクしてお金が増える、ラクして世界平和や世の中をよくする活動をやっているという非常に意味不明なコミュニティに、自分で考えることのできない人や、自分で感じれない洗脳された信者の人たちが、わんさか集まって交流をしていた、という話を聞きました。
(怪しい写真まで。笑)
そして、やたらと
「人との繋がりを大切にする」だの、
「人間関係こそが大切。」だの、
浮ついた理想を語り、押しつけているらしいのですが、
その浅はかな繋がりって、
結局は他人を利用してお金を巻き上げるために
「利用できる人脈」を作る目的か、
ただの金目的かの陳腐なものであり、
これって本当の健全な人付き合いの在り方じゃないよね!!
(本当に人との繋がりを大切にしている人は、押しつけたりしないですもん)
こういう浅はかなものに心酔している時点で、
かなりきてますよね。。。
そのチラッと見せていただいた写真には、私が過去に少しご縁があった人(私は大丈夫だったのですが、私の周りの人を騙した性根の腐った詐欺師)が目をギラつかせながら下品な洗脳グループと一緒にパーティーで集合写真に映っていて、相変わらず完全に目がイッチャってました。
私は改めて、いち早く、こういう下品な性根の腐った人とのご縁を一方的にでも断ち切って正解だったなあ、と感じたのでした。
元々その人とは、偶然、同じ飲食店で食事をしていて、そこにたまたま共通の知人もいたことから紹介されて知り合ったのですが、
何度か交流をしていくうちに、
どうも変な感じがしたり、
何か噛み合わない感覚が続いて、
約3年ほど前に、私の方から一方的に縁を断ち切った人でした。
その後、周りの人が数人、その人からインチキな詐欺の投資被害に遭っていたことを随分と経ってから知らされたのでした。
私は3年前から交流を絶っているので、
その後、その本人と会ったこともなければ
そこから先、どのような状況になっているのかなんて一切、知らなかったのですが、
それこそ
「どうも変な感じ。何か噛み合わない感覚」という自分の本能を信じて、早めに自らの判断でご縁を断ち切って大正解でした。
そこでもし私が、
「同じ共通の友人から紹介された人だから」っていう理由で、
その紹介をしてくれた相手のことを考えるがあまり遠慮して、無理にその人と交流を持ち続けていたら、それこそ健全な人間関係ではなくなりますし、そんな浅はかな付き合いが嫌いで出来ない性分のため、
その時も確か、
その人を紹介してくれた知人に、
「折角紹介してくれた人なんだけど、実は私は違和感を感じたので、こちらから縁を切りました」と正直にお伝えしました。
もしそこで、
その紹介してくれた知人が気を悪くしたり疎遠になってしまうのであれば、
ぶっちゃけ、その程度の付き合いであり、その程度のご縁だと私は思うのです。
だけれど、
何故それを正直に伝えられたのかと言うとね、
その人を紹介した知人は、とても懐の深い信頼できる人だったから、たとえその人が紹介した人を私が一方的に縁を切ろうが、その程度のことで怒ったり、執着したり、残念がるような人ではないと感じたから。
(↑まさにビンゴでした♡)
だからね、
詐欺師のような浮ついた言葉が大好きな人が推奨する
「大切な人から紹介された人は、自分にとっても大切な人」という安易な発想にはなりません。
(前提として大切なのは当たり前で、その上で心ある交流して感じる自分の感覚の方が大事だと私は感じています)
あくまでも人は人なので、
どこでどう人生が変わるのか、
本人の精神状態が変わるのかなんて
その時になってみなければわかりませんから、
そんな浮ついた詐欺師のような言葉や発想は
私には出来ないなあ。
人は常に一定ということはあり得ないもの。
人間関係も然りで、常に変化し続けるものです。
もちろん、そんな変化がありつつも、
ずっと変わらずお付き合いできる大切な人もいますから、このあたりも生きるセンスというものなのかもしれません。
これまでお付き合いがあった人が、
おかしな方向に変わり始めた時、
その変化に必要以上に執着しない、
違和感が生じた時は、
素直にそれらを受け止めて、
適度な距離を保つ聡明さが求められると思います。
繰り返しになりますが、
人は良い意味でずっと変わらずお付き合いが出来る人間関係がある一方で、常に変化し続ける人間関係があるのも事実なのです。
それは身内だとか友人・知人だとか、仕事先だとか一切関係なく、人というものは、そういう側面があるということ、そして歯車が合わなくなってしまったのであれば、そこに必要以上に執着したり、浅はかな人付き合いに成り下がらないように、自分自身の心の軸をしっかり保つ必要があると感じています。
さあ、
あなたの周りでも起こる人間関係の変化、
どのように受け止めて、どのように前に進んでいきますか?
今朝は早起きをして、
お散歩に行き、
雲が多めの ひんやりした空気と
大自然の恩恵を受けながら、
ボケ〜っとしてから♡笑
そのようなことをつらつら書いてみました^ ^
ひんやりした空気が
気持ちいい今日この頃( ◠‿◠ )
本日もお読みくださり、ありがとうございました。