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距離感

距離感

こんばんは。
本田裕子です。
今日のお題は、【距離感】です。


はい。
距離感は距離感でも、家族との距離感について

思うことがあったので書いてみたいと思います。
というのも今日、たまたま家族との距離感についての話を聞く機会が多かったので、

もちろん人それぞれですが、

そもそも「家族」という捉え方、

洗脳されがちな「家族性善説」の解釈を

今一度、俯瞰して見直してみると自分自身の人生とどのような向き合い方が出来るのか考えられる良いキッカケになりそうだなあ、と思ったからです。

まず、家族には、その家族なりのルールや決まりごと、習慣があって、外へ出て初めてそれが独自のルールや習慣だったんだあ、って知ることは本当よくあることよね。

その家その家のルールや独自の習慣があることが悪いんじゃなくて、ある程度の大人になるに従って広い世界に出てみたときに、自分自身で見極めていく経験って大切。

たとえば、

今日お聞きした話によると、

ある30代の女性は、実家での生活にずっと窮屈さを感じてきたらしく(ご両親の過干渉に)ようやく1人暮らしをスタートしたとのことで、その際ご両親から出された条件が、

「合鍵を両親に渡すこと」だったそうです。
すると、勝手に合鍵で🏠に入ってきて頼んでもないのに色々やってくれるそうで、

本人は嫌なのに、これが普通だから仕方ないと思っているとのこと。
確かにこれはコミュニティの狭い地方都市では普通のことかも知れませんし、前提として当事者がそれで良ければいいよね。

だけど、嫌なら子供側が、本当の愛情でしっかり距離を置くような環境を整えることだよね。

またその逆で、

高校生になる男の子のお母さんの話だと

「学校の誰と仲が良いのか」

「学校外の誰か分からない人と交友がある」とかって息子さんの交友関係の詳細まで把握しないと気が済まなくて、ついつい詮索してしまうということ。
それだけ息子さんを想う気持ちでしょうけど、

だからって大人になりかけてる一番親に干渉されたくない時期に、親が必要以上に子供の人間関係の詮索をして知りたがったり、または知らないと気が済まないというのは、ちょっと異常だということに気づかないと。

(ケースバイケース&動機次第だけど)
このお母さんの場合は、ご自身の情緒不安定な部分を息子さんに執着することで解消しようとしていたとのこと、と母親として当たり前のルールだと勘違いしていたとのこと。
そう、

ご本人にとっては、これが当たり前のルールで子育ての正しいルールだと思い込んでいたそうなんだよね。
ほんと広い視点で捉えることが出来なければ、一生、独自のルールだけに縛られて自ら苦しんじゃうことになりかねない。
ちなみに私も中高生時代に、自分しか見ない本音を綴った日記を書いていたのを母がコッソリ読んでいたり、私の部屋は二階だったのだけど、当時お付き合いをしていた彼や友人との電話もコッソリ忍び足で階段の上まで上がってきて息を潜めて盗み聞きしていたことが何度もあり、私は激しく激怒した覚えがw

(私の場合は当時メチャクチャだったので心配をかけたのですが、それでも許せなかったから真っ向から激怒して嫌だと伝えました。笑)

そんなこんなで(どんな?笑)

「家族100%性善説」から脱却しなければいけない人たちが増えてくる過渡期でもあるんじゃないかな。
人間の基本、家族の基本は「善」である

というのが性善説の表面的な捉え方だけど、
人は良い部分もあればそうではない部分も両方あって人間なので、そのどちらに傾きやすいのかは個人、個人によって違うものだよね。
未熟な人間同士なのだから、そりゃ善も悪も両方あるわな、と私は思うのです。

(善悪でわけた場合ね)

家族は、確かに同じ血を分けているのは事実だけど、だからと言ってそこに拘る必要なんてないし、魂は全く別物。
同じ両親から生まれて、同じような環境で育っても、子供によって全く違う考え方、全く違う人生を歩む、なんてのは沢山あるよね。
だけれど、

📺「サザエさん」のように、

「家族皆が仲良く、一致団結して生活することこそが幸せだ」という

ある種の洗脳!?が根深いため、

それがいつの間にか

「家族=常に一緒にいて仲良くしなければいけないもの」という無意識の思い込みに苦しむ人も多いようです。

あ、サザエさんを否定している訳じゃなくて、確かに家族みんな仲良くつつがなく生きていけるように、お互いを想い合ったり理解するように歩み寄ることは、めちゃ大切だと思うけど、だからと言って家族みんな仲良くなれずに苦しむくらいなら適度な距離を置きながら、それぞれの人生を送った方がいいよね。
(これは余談だけど、サザエさんの作者である長谷川町子さんだって大人になってから血を分けた肉親とは絶縁状態になったり、独身を通されたりとアニメのような理想的な家族像とは程遠い人生を送られています。)

どうしても「家族性善説」に洗脳されがちだけど、何も考えずにこれを盲信してると苦しむことになります。

さっきも書いたけど、

人は、たとえ血をわけた家族といえども、

魂は全く別物という意識を持つことが出来ないと、ずっとそのことで苦しむことになるんだよね。
ですから、

時には絶縁したり、疎遠になってしまったとしても、それはこの世の常だということも知っておくといいよね。

よく遺言なんかで、

「自分が死んだ後は兄弟、家族仲良く手を取り合って生きて欲しい。」とかって昔のドラマでありがちなシーンを、そっくりそのまま再現したかのような話も多い。
そして、親の期待通りにならず兄弟がケンカ別れをしたり、家族同士が仲良くなれずに疎遠になったり・・・ということは本当によくある話で、「親の遺言を守れなかった。」と悩む方もいるけれど、悩む必要なんてないのです。
あの世の価値観と、この世の価値観は180度違う訳だから、たとえ遺言を残した親であったとしても、死んだ後にその遺言がいかに間違っていたか、その遺言で後世の人たちがいかに苦しんでいるのかを知って「あの時の遺言は撤回!」って後悔してたりするのですw

大切なのは、必要以上に家族や親戚という枠に縛られ過ぎず、お互いを尊重し、自分の人生を謳歌すること。

だからね、

「私は子供の頃、親に愛されなかった」

「子供の頃○○だった」と、いい歳した大人がいつまでも、インナーチャイルドだのトラウマだの、本人の人生がうまくいかない理由を過去のせいにして過去をほじくり返すことは、あまり意味がありません。

(これもケースバイケースですが、殆んど場合あまり意味がありません。)
そんな暇があったら、今と向き合うこと。

今と少し先の人生は、過去の家族じゃなくて今の自分が切り開いていくものだから、そこを家族のせいにしたり、家庭環境のせいにしたりして逃げ続けるのは卑怯。

(もちろん本人が逃げたければ逃げてもいいのだけど、ずっと辛いまんまよね。)

毒親のようなタイプの親に育てられても、立派に育つ子は立派に育ちます。
どんな家庭環境であったとしても、それを糧にして生きていける人もいれば、ずっとそのことを根に持って滞って生きる人もいる訳でして、

そこから先は、家族というよりは本人の問題。

 
繰り返しになりますが、私は家族の仲が良いのが悪いと言ってる訳じゃなくて、お互いを想い合ったり理解するように歩み寄ることは、すごく大切だと思うけど、

過剰に完璧を目指すあまりに、

「家族=常に一緒にいて仲良くしなければいけないもの」という無意識の思い込みに苦しむ必要なんてないということ。

私自身も本当いろいろありましたが、
必要以上に家族や親戚という枠に縛られ過ぎず、適度な距離感を持って自分の人生を謳歌しはじめたら、

複雑な悩みを過剰に抱え過ぎることもなく、

心豊かに生きていけるようになりました(╹◡╹)♡

本日もお読みくださり、ありがとうございました。

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