こんばんは。
本田裕子です。
今日のお題は、【やたら他人をヨイショして近づく人が陰でする共通点】です。
前から思ってたことなのだけど、誰か他の人のことを、やたらと持ち上げて近づく人って、必ず自分より下にも人を置こうとする傾向がある。笑
たまに、私にも過剰に持ち上げて近づいてくる人がいるのだけど、長年積み重ねてきた自分の感覚と違和感からすぐにわかる。
そういう人に限って劣等感から陰で変な噂を言ったり、それこそ弱い犬ほどキャンキャンうるさいように、やたら自分を大きく見せて正当化したり、何とか自分のコントロール下にしようとする。笑
いやね、これまでの社会において、上下関係っていうパターンでしかコミュニケーションをしていなかった人たちにとっては、ある意味その選択肢以外を知らないので仕方のないことかもしれないね。
だけど、いつも言ってるけど(大切だから何度でも書くけど)ほんと確実に言えるのは、どんな人にも上下はなく、何を持っていようが、どんなに成功していようが、どんなに能力があり、どんなに美しくしていようが、誰かの上に立つことは出来ない、ってこと。
むしろ、誰かの上に立とうとする人は、必ず自分が誰かより劣ってることに怯え続け、自ら劣等感を拡大しつ続ける人生を送ることになる。
いつも競って、“優越感↔︎劣等感” を繰り返しながら、時には誰かの上に立てたような気になったとしても、その人は最も大切な自分の人生の上には決して立つことは出来ず、人の評価の上に踊らされている空しい人でしかない、ってこと。
(そういう人に限って無意識にしてるから気づいてない・・)
これが負のループを生み出す。。。
ただ、このループって、実は、めちゃ楽で、誰かのせいにして自分がチャレンジできないことを言い訳に出来る居心地のいいことでもあるんだよね。
だからこそ、
人を上下に置くような時代錯誤なことは理不尽でありながらも、目をそらして、
「自分が少し我慢すれば・・・」
「今だけ気を紛らわせれば・・・」
↑ってそのループから出られる状況でも、出ることを選択できないでいたりもする。
で、いよいよ我慢の限界がきてたり、気づきはじめてる人も多い。
そう、
自分が心の底から求めてるものを選択してよいのだ、と自分自身に許可することを。
自分への小さなウソ。
妥協してたこと。
これらは、自分の魂が死んでしまいそうな程の破壊力がある。
今までは、その破壊力に気づかずに、知らないうちにそうしていたり、はたまた気がつかないフリを上手くできることを良しとしてきた。
もちろん、それが悪かった訳じゃなくて。
だけどもう、これからは本当に必要がないもの。
自分の魂を生かすこと。
自分へのウソでやり過ごすんじゃなくて。
もう自らの魂を殺さないで。
その小さな悲鳴が、やがては社会の傷のような事件や出来事を巻き起こす。
昨日の記事でいうと、
自分との糸を金の糸に。
自分の心に素直に従うこと。
気づいてる人&気づいた人から行動を起こして、新しいパターンをこの世界に見せていくことが大事なんじゃないかな。
↑ってことも含め、熱く語り合っていた昨夜の私と、内容の一部シェアでした。
バーで1杯も飲まず🍷笑
その後、後ろにいるクマちゃんとも遊んだのでした🐻(๑˃̵ᴗ˂̵)w
本日もお読みくださり、ありがとうございました。