おはようございます。
本田裕子です。
今日のお題は、【人の本性がでるとき。あなたはどっち派?】です。
……
「こんなはずじゃなかったのに!」
先日、カフェでお茶してたら耳に入ってきた言葉です。
生きてると、誰もが一度や二度は目の当たりにする事象なのかもしれません。
例えば、
先日のカフェだと、
「うちの会社は一生、安泰だと思っていたのに。まさかのリストラ候補に挙がっているなんて。。。自分は学生時代から遊びもせず、ずっと努力して勉強をしてきたのに、こんな人生になるはずじゃなかった。」と。
もちろん、ご本人にしかわからない気持ちや背景があるよね。
ただ、
「こんなはずじゃなかったのに!」って心の底から叫びたくなるようなことや、思い通りにいかないことなんて、この世の中、全然あります。
ここで考えてみたいのです。
「こんなはずじゃなかったのに!」
っていう考え方の根底にあるのは、
とても無意識・無自覚なのですが、
「自分の人生は、すべて思い通りになる」という、本当に無意識な思い上がりがあるからこそ、出てくる発想なのだということ。
とかって書いている私も、
思い上がっていました。笑
わたしの場合、10代の若い頃は、
ほんと「こんなはずじゃなかったのに!」の連続で、その表面的なこと(外側の起きた出来事)に翻弄される日々を過ごしてた。。。
「自分はホテルウーマンになる!」と信じていたし、だからこそ専門学校に入ったのに、
突然辞めさせられるし、ドロ沼の真っ暗闇で沢山の怪我人やら、事故や様々な事件、物理的な孤独に、最後は死まで。
「こんなはずじゃなかったのに!」とか、
「なんで自分だけこんな目に遭わなきゃいけないの?!」
って散々、翻弄されまくった末、
散々、自分を責めたり被害者ぶった末に、
「外側じゃなくて自分だ!」って気づいたし、
「そもそも、人生どうなるのかなんて分からないんだから、想定外や予想外のことが起こって当たり前なんじゃないかな」って。
又、「こんなはずじゃなかったのに!」
と、思い上がっていた自分にハッとして、
それ以来、そういう思い込みは、
サヨナラ👋しました。
それからも、
想定外や予想外のことが起きることは、
やはりあって、
中には、正直、10代の頃よりも大変なこともあったけれど、
それでも心のどこかに
「今度は、そうきたか!」って思う
自分も経験しました。
その「今度は、そうきたか!」って
自然と思えるようになってきたら、
その覚悟というか、本当に心で理解できるのかを試されるかのように、
会社の存続危機や、周りの大切な人に突然、襲いかかってきた悲しい出来事や、それこそ天地がひっくり返るようなことも約8年前に訪れました。
そのとき、
「なるほど。色々大変すぎて、先が見えないことだらけだけれど、向こうからやってきた予想外、想定外なことだから仕方ないな。そうきたか」と思っている自分がいました。
結果的に、
周りに助けられ、支えられ、運だけで何とか乗り切ることが出来て現在に至っています。
『感謝』とかってレベルじゃなく、
ほんと有り難すぎます🙇♀️m(._.)m
「こんなはずじゃなかった!」という発想って、やっぱ心のどこかに傲慢さがあると思うのです。
それは、
「人生は常に安泰だわ」という奢り。
でもね、
震災等の教訓からも分かるように、
人の人生はいつ、どこで、どのような形で大きく変化するのか誰も分からないもの。
そして、
ずっとあったものが、一瞬にして消えてしまうことだって有り得るということ。
あ、これは必要以上に不安を煽っているのではなくてね、
自分の人生も、他人の人生も、
常に一定、安泰ということはあり得なくて、
いつ、どこで、何が起こるのか分からないからこそ、今という時間を大切に心を込めて、今この瞬間の判断を大切に生きる覚悟を持つと同時に、
「今度は、そうきたか!」と想定外や予想外を素直に受け入れる気楽さを持っていたほうがいいと、自らの実体験から感じています。
昨日も書いたけど、
この世は全て陰陽。
辛いことも、悲しいことも、
「それもあり」って受け入れて、
ただ本当に自分が求めることに、愚直に、
ひたむきに突き進んでいく。
「こんなはずじゃなかったのに!」と感じる
出来事なんて、これから先も起こり得ることなので、それらを避けて通ることなんて、できないのだから。
「そうきたか!」って、素直に想定外を受け入れる柔軟さ、素直さも大切。
まさに、
純粋にひたむきに風のように♡
そうすることで、悲壮感を漂わせて生きるような相手にプレッシャーを与える雰囲気は一切ないし、逆に自然と相手がホッと安心してくれたり、元氣になったと言われたりしますから。
人の生き様って、
年齢を重ねれば重ねるほど、
表情、雰囲気、その他諸々の部分に
見事なまでに表れてくるもの。
「こんなはずじゃなかった!」っていう出来事と遭遇した時は、自分の中に無意識のうちに「自分だけは違って安泰の人生である」という思い上がりがなかったかどうか、ふと振り返るのに良い機会。
これを避けてると、ずっと自分で自分の人生を苦しめてしまう結果になっちゃいます。
それこそ中途半端に現実逃避しがちな人は、
「全ての人生を思い通りにする」とか、
「いいことしか起きない」とかって薄っぺらい思想や、それをウソぶいて普及するメンターとか教祖様などに安易に依存してしまいがち。
それって、一時的な気休めに過ぎなくて、
根本から自身の思い通りにいかなことだらけの人生と向き合う聡明さ、創意工夫する力が
養われた訳ではありませんから、ずっと同じことを繰り返してしまう。
やっぱね、
現実を直視した上で、
自分の人生を積み重ねていける聡明な人と、
そうではない人とでは、その先が明らかに違いますから。
とはいえ、
確かに試練や逆境は本当に嫌なもの。
苦しみたくないですし、まるでそれは
細胞を破壊されているかのような、
そんな感覚にさえなるもの。
感情に浸ったり、泣いたりわめいたりすることもある。
だけど、思う存分泣いたら、
底力が湧き上がってきたりするから、涙を堪える必要なんてないよ。
それと共に、やはり
「人生とは思い通りにいかないこともあるよね」って悲観する訳じゃなく、冷静に受け止められる気楽さを持っていたほうがいい。
すると、実際そうなったとき、
「そうきたか!」って大変ながらも、
心のどこかで、その奇想天外な先が読めない出来事を楽しむ心を持てるから。
人は口ではいくらでも言えるし、
あとは、その想定外や予想外に遭遇したときの反応を見ていれば、
おおよそその人の本性はわかる(でる)もの。
どんな人生でも受け入れる気楽さがなければ、そのような考え、生き方には至らないのも、これまた事実。
さて、
「こんなはずじゃなかったのに!」
「そうきたか!」
最近、また🍓にハマり中( ◠‿◠ )♡
今日も来てくれてありがとう🙏♡