【なんのための一貫性?】
前回の記事にも少し関連するのですが、
わたしたちの脳は、どこかで自分の不在を感じていたりします。
それは、「般若心経」にもあるように、「空っぽ」であって、実体のないものであることを。
あ、もちろん、実体がないとか空っぽだっていう認識じゃなくて、
「生きた証を残したい」とか、
「自分の存在意義が必要だ」とか、
「アイデンティティーが大事だ」とか です。
(なので、自分を何か確実なものにして、それを保持したいという無意識の衝動がわたしたちの中にあったりする。)
その手段として人気が高いのが、
「わたしは◯◯である」というアイデンティティーを持つこと。
(これは、一見自分の存在を凄く分かりやすく明白にしてくれるから。)
それは地位や名誉だったり、
「◯◯なわたし」とか、
「良い自分」になることであったり。
で、めでたく その自分が確立されたら、
それを保持して守っていきたくなりがち。
この「わたしは◯◯である」っていうアイデンティティーが目に見えて分かりやすいのに対して、理念は目に見えるものじゃないから、わたしたちは見えないものを見過ごしてしまいがち。
樹木に例えると🌴、
根っこの部分が「理念(おもい)」で、
樹木がアイデンティティーやその人の目に見える行動。
見えないだけに 根っこを育てることを忘れて、わたしたちは、つい一生懸命 樹木ばっかを育ててしまおうとしてしまいがち。
だけど、根っこがないところに必死に樹木を育てようとしたって、どこかに焦りがあるから空回りしがち。
先ほども書きましたが、
めでたく見た目が立派(地位や名誉や権力etc…がある)な樹木(アイデンティティー)になったとしても、やっぱ 所詮 根っこのないアイデンティティーなもんだから結局はめちゃ不安定。(なもんだから、その樹木の危機を感じたら、どんな嘘をついてでも守りたくなったりと必死。。)
だけど、このとき理念(根っこ)があれば、例え樹木が危うくなったとしても、理念で支えることができる。
言い換えると、保身とかよりも理念に沿った言動が出てくるし、その人の言動に一貫性がでてきます。
これは、それこそ昨日のコメントにもありましたが、「他人の評価のために一貫性を!」って話ではなくて、自分が自分に縛られ&自分に振り回されて苦しくなり→更には自分が自分に嘘をつき→それで自己嫌悪に陥ったり自分を否定するよりも、
自分の中に一本 筋の通った軸と、大地に根を張った芯を持つことで、たとえブレたり揺らいだりしても(ブレたり揺らいだりしてもいい♡)自分はどう在りたいか?に戻り、そこに従うことであたたかいエネルギーが充満し、清々しく「いま」を生きれるから✨
人は自分に嘘をついていると、エネルギーが冷えて滞ります。
「自分は嘘はついてないです!誠実に、真面目に、人に迷惑をかけないように生きています!なのに 人生がちっとも上手くいきません!」っていう人は、自分に嘘をついてるだけ。
それは、「真面目に生きている」んじゃなくて、「嫌われないように生きている」だけのこと。
本当 ただ それだけ、なんです。
嫌われないために、自分の気持ちを殺してるんだから、上手くいかないのは当然で。
(嘘をつくことが悪いことなんじゃなくて、それを自覚しているかどうか?って話です。)
はい、わたしも昔、散々経験しましたね🤭
そこから抜けて楽になったのは、自己対話と自己観察から自分の無意識なものを意識化し、「素晴らしいわたし」や、「良いわたし」とか聖人君子を目指すことをやめ、「在り方」を明確にして、腹の声に従うようになってから、でした( ◠‿◠ )
ということで、アイデンティティーの前に、やっぱ根っこの理念を大切にした、先日観た映画のガミさんのように、骨太な生き方をしてる人が、わたしは好きだな♡
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡