【○○することをやめた人は、生きていないのと同じことである】
爆笑問題の太田光さんが、
6月2日放送の「サンデー・ジャポン」で
ご自身が高校生の頃に「死んでもいい」と思っていたことがあったこと。又、そこから立ち直ったきっかけをお話しされたそう。
(わたしは↓ネットニュースで知りました)
何も感動できなくなったり、何を食べても味もしなかった時があったらしく、
そんなとき、
たまたま美術館に行って
ピカソの絵を見て
急に感動が戻ってきたらしくて、
「ああ、こんな自由でいいんだ」
と思ったのがキッカケなんだとか。
そこから色々なことに感動して
色々なものを好きになっていったそう。
……
わたしも若い頃、
同じように感じてた時期があります。
なんていうか、
太田さんも言われているけれど
「自分って生きててもしょうがないな」
という虚無感にさいなまれて。
(わたしの場合は、専門学校をクビになり、沢山の人に迷惑をかけてしまった自分を責めてばっかいた時期で、
それに加えてひっそりと身を隠していなくちゃいけない時期だったからか、感動どころか何の気力も湧かないし、何だか抜け殻みたいな状態でした。)
そこから暫くして地元の幼馴染と、こっそり行く当てもなくドライブして、外の空気が気持ち良くて、自然に触れて何か感動して🥺
(事故りましたけどw)
そうしてまた暫くして落ち着いて
カフェでバイトをはじめて
人と触れ合うのが嬉しくて嬉しくて🥺
感動が戻ってきたように思います。
そこで気づいたことは、
すべては
自分の「すぐ近くにある」ということ。
それは、
人でも自然でも芸術でも
本でも映画でも何でもいい。
何かちょっとしたことでもいいから
新しいことをしたり、
美しいものに触れて感動したり、
新しい経験や発見に出会うこと。
この新しい発見って、
毎日の日常の中で、些細なことでも
小さな創造や工夫をすることからでも
幾らでもうまれる。
(新たな見方をすることで、まったく新しい何かが見えることってある。それも創造💫)
このような
一瞬一瞬の連続が
人生を豊かにするのだろうな。
もし、目の前にある新しい出会いに気づかなかったり、感動することがなかったら、
わたしたち人間はただ借り物である身体があるだけで、心や精神は死んでしまう。
(それはロボットのようなもの)
なので、あのアインシュタインも
「感動することをやめた人は
生きていないのと同じことである」
って言ったんじゃないかな。
ちょうど約1年前に書いた記事
「枯れることのないもの」にも↓
「感動」って、感じて動くこと。
言い換えると、
心を震わせ深く感じ心を動かすこと♡
と書きました。
……
子どものころって
何をしても何を見ても新鮮で
ワクワクドキドキ感動していたものが
年を重ねていくにつれ
不確実なものに対して
興味を持たなくなりがち。
それは経験が邪魔していたりもする。
(どうせ無理だろうとか)
(どうせこんなでしょとか)
……
あ、話は戻って、
子どもってほんと感動する名人よね♡
ワクワクドキドキしたり
キュンキュンする心や、
好奇心を失ったとき、
人は、子ども心を失って感動しなくなる。
逆にいうと経験が邪魔したり、
理性や知性ばかりを身につけることによって
「感動」っていう感性が鈍くなる。
なぜなら、繰り返しになるけれど
「感動」は理屈や知識ではなくて、
感じて動くものだから。
……
そういえば、先週末に、久しぶりにまりんとお散歩(まりんは術後初のお散歩)に行って来ました🐶🌿
ウォーミングアップで公園までバギーで行き(バギーでワンワン合唱しw)公園に着いたら、久々だからか、あまり歩かないで、結局ずっと私の膝の上に座って☺️
2人でのんびり自然に触れて
めっちゃ気持ち良かったし、
そして何より
こうしてまた一緒にお散歩したり
お花を見たり🌹自然や風を感じれて、
母ちゃんウルウル🥺
最高に嬉しかった🥰
今日も来てくれて有難う🙏^ ^♡