【平和は内側からしかつくられない】
「謙虚であれるときにだけ 心は開く」
と私は過去の記事や Podcastをはじめ、
よく書いたり話したりします。
又、期待しないことは、
≠心を閉ざすことじゃない。
心を開くこと=受け取ること。
自ら心を閉ざしながら、
何も与えられないと嘆くのは、
わたし(実在)ではなく、
私(自我)のシステムなだけ。
私(自我)のシステムに気づいたとき
(=手放すとき)、既にある あらゆるものに恵みが観えてきます(╹◡╹)💫
(少し前のリール記事にも書いたけど、
例えば、お小遣い1万円もらったら、
「ラッキ〜🙌」ってなっても、100兆円もらったら怖くなるのと同じくらい、私たち人間はまだ1万円分ぐらいの愛しか受け取れてないんです。)
……
『弱いものほど相手を許すことができない。許すということは強さの証だ。』
(ガンジー)
↑このガンジーのお言葉、
まさに本当そうですよね。
そんでもって、
許せないのは相手に完璧を求めていたり、自我を大事にしてるからでしかない。
(=完璧を求めるのも自我だし、無意識のうちに、深いところで我執に囚われているから。)
この現象世界の表れは、
常に(自分も相手も)変わり続けるもの。
そして、
許しは相手じゃなくて、
自分に向かうもの。
それは私の世界から「〜べき」(罪)という概念をひとつひとつ、取り払う作業でもあります。
(逆に言うと、浮かんできた思考や想念を事実だと認めるがゆえに、次々とそこから思いを巡らせて分離が真実だと認める内面の行為は→“許さない(赦さない)”ということ。)
あ、あと怒りや憎しみがなくなったら自分を守れなくなってしまうんじゃないですか?って心配する方もいらっしゃいますが、そんな心配は要らないです。
六方拝やyoga、祈りや瞑想、心のマスターになることによって、私(自我)に費やしていたエネルギーが智慧や慈悲に転換され、それに基づいた認知と行動が「敵」をどんどん減らしていきますし、かつ守るべき「自分」もいなかったことが、真に腹に落ちてくるから。
平和は外側でなく、
内側からしかつくられない。
“べき”なんて1つもないのに、活力に満ち溢れた幸せなアホになろう♡
たまには両手を広げて空を眺めてもいいですよね\(^o^)/✨
今日も来てくれてありがとう🙏^ ^♡